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「最後の相場師」是川銀蔵から学ぶ!
「投資の兵法」サークルへようこそ!
今日は
「最後の相場師」の異名で有名な是川銀蔵
の言葉を読んでいきたいと思います。
彼は相場師として高額納税者番付1位になった人物でもあります。
是川銀蔵 概略
逮捕、倒産など、強烈に波乱な人生!
是川は1897(明治30)年に兵庫県に生まれ、14歳で貿易商の好本商会のでっちとなる。1914年にその好本商会が倒産となり、その直後に第一次世界大戦勃発。
そこで青島に上陸した日本軍の後を追って、軍の御用商人になるが、1915年に贈賄容疑で逮捕され日本に戻ることになる。
その後彼はもう一度中国に戻り、商売を始めた。この商売で大儲けするが、戦争が終わると銅価格の急落で倒産する。
大阪に帰った是川は大阪伸鉄亜鉛メッキを立ち上げ、大きな利益を出す。
ところが1927年の昭和金融恐慌で倒産して再び無一文に。
昭和金融恐慌で資本主義に懐疑的になった彼は3年間毎日図書館に通って、経済の仕組みを勉強する。1931年、34歳のときに初めて株式の取引を始め、数年間で大成功する。
是川は後年、
「私の株式投資の原点は、昭和二年の金融恐慌の影響を受け、三度目倒産を経験した後、図書館に三年間通い、独学で日本を始めとする世界経済とそれを取り巻く諸問題を徹底的に勉強したことだ」
と語っている。
再び実業に戻る決心をした是川氏は1938年、朝鮮半島に渡り、後に1万人を雇用するグループに成長する是川鉱業と是川製鉄を設立する。
敗戦で逮捕されるが、釈放され日本に帰る。
1976年の日本セメント、1979年の同和鉱業、1982年の住友金属鉱山の仕手戦で大勝負に出て、特に住友金属鉱山株で200億円以上の利益を出し、1983年の全国所得番付で1位となった。
より深く読みたい方は、こちらの本をどうぞ!
1.「投資五か条」
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