自分という人間の営みの中で培った能力を、人生の色んな場面で発揮する
最近少しずつ様々なテーマのイベントに登壇する機会に恵まれてきた。
その際、時間的に端折る部分が自己紹介。
僕は側から見ると一貫性にかける様々な活動をしている。
オーディエンスに対して、その活動内容を正しく伝えようとすると、情報量が多すぎて「ただの色々やってる変なやつ」になってしまう。そのため多くは伝えず、ざっくりとイメージだけ掴んでもらうために「多動人間」とだけ伝えるようにしている。
(そもそも参加者は、僕という人間に興味があるわけではなく、話す内容に興味があるのでそれでいいのだが。。)
当たり前のことだが、自分のすべての活動や能力の全てを説明する場所や発揮する仕事環境などは存在しない。
僕が今所属している組織でも自分の能力の一部しか発揮していない。「サボってるんじゃない?」と言ってくる人もいそうだが、所属組織では必要としていない能力が他にたくさんあるという感じか。
自分の中にある概念として、自分という人間の、日々の営みの中で培った能力を、必要な場面で都度カスタマイズして発揮する。 そんなイメージを持っている。
多動人間になる理由は、自分の持てる能力を最大限発揮するために、その場面を自分で作りにいっているともいえる。
陥ってはいけない状況としては、一つの組織の評価を=自分の能力評価だと思ってはいけない。逆にそう思わないように、自分の使ってない能力を、どこか求めているところで発揮したり、発揮できる場面を自ら積極的に創っていかなければいけない。
あなたはあなたの人生の営みの中で培った、数えきれない能力を持っている。それを発揮しない手はない。