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危ないっていう主観をみんなで話してみる価値について。

こんにちは〜。
在宅NATIVEセラピストとか言うてます〜。


以前、介護士さんと仕事していたときの違和感について、今日は書いてみたい。

危ないので、やめさせるにはどうしたらいいですか?
◯◯さん、一人で☓☓してるから、危ないんですけど。
危ないので手伝いますね〜。

違和感があるのは、『危ない』という基準の違い。

一人ではなんかしたらあかんのかな? 歩いたらあかんのかな?
ってこと。

危ないのではないか?
と思うことは、事故につながる可能性があることに気づいているということ。それはとても素晴らしい。しかし、それを抑制する人がかなり多いように思う。

危ないから、やめてください。
危ないので、歩くのはやめて、車椅子にしましょう。

とか。

その状態を打破するために、僕が言いたいことはこれ。

危ないと思ったら、いつでも助けられる準備をして、近くで見守っていて欲しいです。そして、危ないっていう主観をスタッフで話し合ってみてはどうですか?

その裏には、下記の質問を隠している。

・危ないって何をみて言ってますか?
・危なそうにみえても本人で対応できてませんか?
・危ないと思ったあなたは、本人がその問題を解決する機会を奪ってませんか?

危ない瞬間に立ち会える機会ってあんまり多くないんですよね。
いつも見守れるわけじゃないから。
その機会を介護士も大切にしてほしいということ。

それを見て、話していくっていうことが、まずリハの視点を提供する前に大切だと思う。観察ができるってこと。

その上で、どの瞬間が危なくて、それを危なくないと思える状態にするには、どうしたらいいか?
そこまで考えたり、話し合ったりする中で、機能低下を招くであろう選択肢を選ぶことは、否定はしないけどさ。

話あえる環境を作ることも、すごく難しいことではあるんだけどさ。

最後に、危ないの裏に隠れているのは、不安だと思う。
『大丈夫と思います!』って言って、なんかあったらどうしようとかね。

まずは、なんかあるっていう前提にみんなで立って、みんなでその責任を分かち合うところから始めたい。
それは、介護スタッフだけでなく、家族も本人もみんなでね。
分断するんじゃないよ。

おしまい。

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まさまさ(佐々木将人)
サポートありがとうございます。 あなたのそのお気持ちのおかげでnoteを続けてこれました。 去年は1年で120本…みなさんのおかげです。これからも誰かに届く文章をかいていきたいです。