山口周「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」を読んで
祝祭の高原に至った人類が、次に取り組むべき課題とは?
山口周さんの鋭い現状認識から提示される課題、そしてそれらを解決するために必要な要素、目指すべき未来についてがとても分かりやすく整理されまとまった本。別場所に記録していたものをnoteに移載します。
概要
我々の社会は、長年の課題であった物質的貧困を今経済成長とテクノロジーの力で社会から排除しつつあり、明るく開けた「高原社会」へと軟着陸しようとしている。その中で、経済合理性曲線の外の課題(ex.希少疾病の治療薬、貧困家庭の食料問題など)や生きるに値する衝動に根付いた社会を実現するために、エコノミーにヒューマニティを回復させることを提唱する。さらに、その具体的な促進として、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)、GDPに代わる多様な評価仕様を含むソーシャルバランススコアカードの導入、自らの衝動に気づき、行動し、仲間と共同できる人材を育てる教育システムへの変革を提唱している。
祝祭の光源と経済合理曲線の外側の問題
低成長と表現される経済。しかしそれは言葉を返すと物質的貧困からの解放された成熟した社会の到来を表す。著者はそれを「祝祭の高原」と例える。問題の普遍性と技術的難易度の関係性から、あるところで経済合理性の成立/不成立するラインが生まれる(=経済合理性曲線)。その内側の課題は、資本主義社会が自動的に解決する。そしてすでにほとんどの内側の課題は解決された。一方で、希少疾患を患った人やその家族にとっては、他のどんな病気よりも、その疾患の治療薬を望む。ここでサンテグジュペリの以下の言葉を引用し、我々が人間たるには、この問題を放置できないことを説く。
インストゥルメンタルとコンサマトリー
経済的対価を得るための手段としての労働ではなく、労働自体=喜びとして、目的かつ手段とすべきである(=コンサマトリー)。
インストゥルメンタル 中長期的/手段はコスト/手段と目的が別/利得が外在的/合理的
コンサマトリー 瞬間的/手段自体が利得/手段と目的が融合/利得が内在的/直感的
我々は、人間性の衝動に身を任せ、インストゥルメンタルからコンサマトリーな活動へシフトする。それによって、経済合理性曲線の外へはみ出し、生きるに値する社会に対するモノ・コトを生み出せる。
資本主義社会をハックしよう
ハイデガーの「世界劇場」を引用し、現存在=我々の本質と、ペルソナ=舞台で演じる役柄は、違う。我々はそれを区別できない。いい役柄を貰っている人は、自分の現存在もいいものと考え、しょぼい端役の人は自分をショボイと感じる。主役級の役はごく少数なので、多くの人はショボイ役を与えられた役者として舞台に立ち、主役級の人を喝采しつつも、ああなりたくはないよねという態度をとってします。このような舞台は、脚本がいけていないわけだが、脚本を書く人はそれなりに大きな発言力、影響力を持っている人なので、書き換えるモチベーションが無い。つまり、端役をおしつけられた人、舞台に適応できていない人が変革者となりうるということである。そのような人々がやがて資本主義のハッカーとして世界を変えていく。そう祈る。
最後に
経済合理性曲線の内側での活動をしつつ、線の外側に染み出していくような態度が求められるのだろう。仕事の中でそれができればいいし、それが難しくとも、私生活ではそういう態度で暮らしていこう。低成長の経済という見方であったが、それは物質的貧困からの解放であり、経済から切り離された課題に取り組む準備ができたということが新鮮な驚きであった。資本主義に関係するビジネスパーソンは、是非手に取ってみて欲しい一冊です。