木曜の夜に宿予約、週末一人旅、「川内、いわき、北茨城」(1)
お彼岸に、私以外の家族が週末を利用し、実家帰省するということを聞き、木曜の夜に一人旅を決意した(9月初旬の家庭の中での獅子奮迅の活躍を認めてくれた妻の計らいもあり、感謝)。
9/22(木)夜 FAROにデラックスドミトリー1室の予約を入れて、週末弾丸で川内、いわき、北茨城に行ってきました。
FAROさんに泊まろうと思ったきっかけは、こどもの遊ぶ施設でもらった広報誌「ふくしま ほんものの旅- 福島の旅- 」に掲載されていて、いつか行こうと決めていたためです。チャンス到来。
9/24(土) 12:00 実はFAROさんの予約をした後、いわきの鮨屋を予約しようと電話しましたが、あいにく満席でした。すでに口の中は鮨だったので、地元の鮨屋を予約し、家族で訪問。みんなで鮨に舌鼓を打った後、私以外は妻の実家へ、私は川内村へ。
9/24(土) 14:10 川内村のかわうち草野心平記念館に到着。次の日がマラソンで通行止めの案内があちこちにありました。
草野心平は、福島県現いわき市の出身の「カエルの詩人」としても有名な詩人で、春の歌(ケルルンクックのやつ)は教科書にも載っているそうです(知人の教師談)。
草野心平は、昭和25年(1950)にモリアオガエルの生息地を知っている者があれば教えてほしいと新聞に投稿した。その投稿に応じたのが、川内村の長福寺の住職矢内俊晃和尚でした。
早速手紙を出し、昭和28年に心平は、初めて川内村を訪れます。そこから、毎年のように川内村を訪れ、村民との親睦を深めていきました。
村民と心平の絆を象徴するような展示物がたくさんの記念館。
決して大きく見どころたくさんの記念館ではありませんが、
川内村の人々と心平の飾らない、親密で深い心の繋がりを感じさせる記念館でした。
次に天山文庫に向かいます。
途中、会津の花春酒造から贈られた酒樽を利用して、作られた第二、第三書庫があります。中は薄暗く、湿気を帯びた木の香りがふわっと香ります。昭和の雑誌(?)がたくさん保管されていました。樽って大きいんだなとか、SDGsの先駆けやなぁとか思いました。
天山文庫に到着です。
息を吞みました。
山中にひっそりとたたずみ、周囲に溶け込みながら、存在感を出す趣のある茅葺屋根の建物。
天山文庫。
こんな素敵な観光スポットが川内村にあるとはついぞ知りませんでした。
建物の前には池があり、毎年7月16日の天山祭りでは、酒宴の後に川内甚句に合わせて踊り明かすそう。こんな素敵なロケーションで踊ったら最高に気分良いだろうなと思います。
入口には、川端康成の書で、彫刻の文字は金塗りとかなりありがたい天山の扁額(看板)が掲げられています。
昭和35年(1960)村を上げて、心平を名誉村民に推すこととなり、ありきたりな名誉村民でないならと快く受けた心平。
名誉村民条例に基づき、毎年木炭百俵を贈ることとなり、そのお礼として心平は蔵書3,000冊を持って帰ってくれと寄贈した。
これを機に村びとから、文庫建設の話が持ち上がり、村民が材木などを持ち寄り、昭和41年(1966)に完成させたのが、この天山文庫だそうです。
寄贈されたと思われる本に加え、当時心平と親交のあった作家たちが天山文庫設立協力委員会として活動をしたそうです。本は文庫内での閲覧や、借りることもできるみたいです(リルケとかあった記憶。。)。
1階に戻り、寝室を見た後、居間に入りました。
居間は吹き抜けになっており、天井が高く、凄く居心地が良い空間です。
ふと見上げると、棟方志功の書が額に入れられ飾られています。本当にいろんな人と交流があり、愛された人なんだなと思いました。
囲炉裏を前に大好きなお酒を呑む心平の写真を見ると、知らず知らずに郷愁の念が湧き、心平の居た時空間へ愛おしい思いをタイムスリップさせてしまいます。
そのあと30分ほど、居間の縁に腰を下ろし、雨の滴る庭を眺めながら、令和とも昭和とも言えない時と空間を味わいました。
庭を撮ろうとしましたが、アングルがいまいちわからず、アマゾンのジャングルみたいな写真になってしまいました 笑(本当は趣深いお庭ですので、あしからず)。
帰り道では、心平カエル君がお見送りしてくれました。
その後、
心平への思いをグッと上がった状態で、続いてはいわき市にある「いわき市立草野心平記念文学館」へ車を走らせました。
心平記念文学館、FAROさん、いわき夜の街・・は、
パート(2)でお届けします。
草野心平さんの話にもう少しお付き合いいただけると幸いです。
お読みいただきありがとうございます。
では良い祝日を!
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