【ショート】好きな道があった
子供のとき、夜の空には無数の星があった。僕は北斗七星を眺めるのが好きだった。
学校は嫌いだった。友達はいなかった。担任には嫌われていた。担任はいつも他に誰もいないと「何でお前が委員長なんだ」と、僕に向かって舌打ちをするのだ。それでも毎日学校に行った。行くものだと思っていたからだ。学校へ行くこと自体は、それほど苦痛ではなかった。
通学路があった。そう、僕は通学路が好きだった。小さい石ころがごろごろしているが、平らに均された歩きやすい土の道だった。何故かは今でも分からないが、僕はこの道が好きだった。
雨が降っていた。僕は傘を持っていかなかった。それで、帰りは雨に濡れながら、ゆっくり歩いて家に帰った。雨に濡れても学生服は耐えてくれる。気持ち悪くなるほどに濡れることはない。…帰ったら頭を洗わないといけないだろうか…。面倒だなぁと思いながら歩いた。アメリカが南洋で水爆実験と言うのをしていて、その放射能が雨に混じって降って来るというのだ。
え! こんなに狭い道だったんだ。中学校へ通っていたときは、充分に広い道だと思っていた。ここをあの三輪トラックはすっ飛ばして走っていたんだ。今なら徐行運転をしないと怒られるだろう、こんな狭いんじゃ。
僕が中学を出てから家は他県の町に引っ越した。もう米では食べていけないと考えた父親は田圃を売り、ここより人口の多い町にアパートを建てて移り住み、アパートの経営をして生計を立てていた。
僕は今、農協に農薬を売り込む仕事をしていて、たまたま生まれ故郷に来て、この道に立っている。ここに立っていると、このまま何処へでも飛んでいけそうな気持ちになる。この町でこの道だけは好きだった。
「僕の前に道はない、僕の後ろに道できる」 国語教師がゆっくりと詩を朗読している。公立高校で教師をしたあと、この学校で国語を教えている。文人でもある老年の教師が詩の解説をする。机の上に教科書を置き、教師の言葉を聞きながら、私はこの詩人は随分と自信家だと思った。私は思ったのだ、自分の後ろには道はできていない、これからも道はできないだろうと。私の前にあるのは靄であり、後ろにできるものは何もない、と。
私は町外れにある高校の寮から下駄を履き学校まで通った。古い橋のある道が好きだった。擬宝珠のある欄干の橋から眺める川は美しかった。時々かじかが鳴いていた。橋の側の蕎麦屋の古めかしさも良かった。この道は昔の町の中心部を通っている。そのためか、古めかしい家や商店が並ぶ品のある街の道だった。
高校を卒業してから三十年ほどして、仕事でこの町に立ち寄った。何やら新しい道ができ、ビルが建っている。昔の面影は消えていた。
あの昔通った大好きな道を探してみたが、どこにあるのか行き方が判らなかった。
私は諦めて電車に乗った。