教室からみな一斉に逃げ出した
「地震だ」教室から皆一斉に逃げ出した。高校二年のときだった。ぞろぞろと校庭に生徒が集まっている。先生方もだった。屋根の瓦が何枚か落ちて割れていた。木造の古い校舎だった。浩一がふと校舎を見ると、校長が一人廊下を走っていた。
地震が収まり翌日、体育館で全校集会があった。校長が言う「地震の時は火事が一番怖いのだ」と。校長が一人で全教室のストーブを消して回ったらしいのだ。他の先生方は誰一人手伝わず、校庭に逃げたらしい。
浩一が勤めていた金物店が倒産した。職を失ったあと、金物店でメーカーに発注した工事を請け負っていた金物職人の手元をして働いていたときのことだった。とある港町に宿泊したときのビジネス旅館の主人が若い女性だった。経営していた父親が病で急に亡くなり、女性は急ぎ魚屋で修行をして旅館を継いだのだという。
揺れた。何、地震、地震だ。大きい。厨房で留美は仕込みの最中だった。ガスの火を止めた。長い、どすんどすんと、縦に、横に、斜めに揺れた。留美は台所にしゃがみ込んだ。上から鍋が落ちてきた。落ちた鍋を頭に被り、左手で鍋の取手を掴んだ。ガシャ、ガシャ、皿や茶碗の割れる音がする。長かった。
揺れが収まった。台所の床に食器が散乱していた。立ち上がると頭がくらくらする。留美は食器を踏まないようにして廊下に出た。
「あ」、津波、津波が来る。留美は母親の寝室に向かった。母親は鬱の症状が出て一日中寝室に居た。寝室に入ると母親は今の地震に怯え、掛け布団を被って蹲っていた。
「かあさん、津波が来る、逃げるよ」と言い、留美が布団を取ろうとしても、母親は布団を強く掴んで動かなかった。
「津波、津波」と留美が泣きわめいても、母は布団を掴んで蹲ったままだった。
留美が諦めて黙ってその場に座っていると、母親が布団から顔を出した。なんとか宥めすかして母親の手を引いて外に出て、母を車に乗せエンジンをかけた。アクセルを踏むと、ガタンと車が横に揺れた。外に出て車を見ると、タイヤが二本パンクしていた。車を諦め母親を車から出し、母の手を握って山へ向かって走った。母が転んだ。母を助け起こし、急ぎ足で進む。母親も荒い息をして必死でついてくる。強く手を握り急ぐ。
泥臭い臭いがして、振り向くと荒々しく水が走ってきた。水に呑まれた。母を強く抱きしめた。泥水を飲みながら泥水に流された。そして、体が浮き上がったと思ったら、凄い勢いで波が引いた。痛い、何かが肩にあたった。気が付くと母を離してしまっていた。頭に硬いものが突き刺さった。留美は気を失いかけたまま海に引き摺り込まれていった。
ある日、浩一が夜勤に備えて寝ていると、ゴーという音が聞こえてきた。地震だなと浩一は思った。以前にも地震のときに寝ていて聞いた音だ。
その翌日、あの港町に津波があったと聞いた。たくさんの家が流されたという。あの若い女主人は逃げられただろうか。流されていないだろうか。浩一は祈った、生きていてと。
(終わり)