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ションベンカーブ 04

「骨の破片とかが、神経を傷つけるのが一番厄介だからね、手術しましょう」医者は、俺の右腕のレントゲンを見せながらいった。医者がいうには、雑巾を絞るような力が上腕筋から上腕骨に掛かって、骨がねじ切れたということだった。

正確にいうと、投球時における上腕螺旋骨折ということで、複雑骨折の一種らしい。正しいフォームで投げておらず、しかも非常に強い筋力が瞬間的に骨に働いたときに、稀に起こる現象らしい。痛かったでしょう、と微笑みながらいう医者に殺意を抱いた。


高校へは夏休みを終えると復学できた。右腕はお中元で貰うハムのように、ぱんぱんに腫れ上がっていた。肩の骨を削って、骨髄にチタンの棒を通して、その棒を四箇所、骨の外からボルトとナットを使って固定した。現代医学は思い切ったことをやるのだと知った。日曜大工で木材を固定するのとさほど変わらない。

放課後は、毎日リハビリに通う羽目になった。ちゃんとリハビリをしないと、筋肉が変な風に固まって、日常生活にも支障が出ると脅かされた。術後、一キロの鉄アレイを持ち上げるようにトレーナーに促されたが、冗談のように、一ミリも持ち上げることができなかった。

本格派超高校級右腕、利き腕でオナニーもできません。ピッチングなんて、遥か遠くのものになってしまった。

高校の担任からは、出席さえ足りていれば、どこかの大学の推薦をやるといわれた。残念なことになったが、公立の雄として、よく頑張ったといった。担任は、公立の雄という言葉を何度も繰り返した。

その単語をいうときの担任の目つきは気色悪かった。そして俺は野球とは無縁の、なんの取得があるわけでのない、しょーもない人間がとりあえずやることもくて進学する、神戸にある三流大学へ進学へした。

経営学部に入学したということだが、三〇を過ぎた今でも、それが具体的に何を学ぶための学部なのか判然としない。

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