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風の通り道〜ちょっと一息〜

鈴木敏夫さんの好きな言葉の中の一つに

「人生は単なるから騒ぎ」

って言葉がある。彼は、仕事は公私混同だと伝えていて
一つの時代を作るくらいの熱量で働き続けてきたのに、

どことなく、あっけら感としているこの言葉。

たくさんの紆余曲折を走りきってきている人は
兎角こんな方が多いのはなんでだろうか?

バガボンドっていう漫画も好きなのだけれど作中に、

宝蔵院胤舜というお寺のお坊さんや柳生石舟斎という
おじいちゃんが描かれている。

若き日は猛りに猛り天下無双つまり最強を謳い、斬り合いに明け暮れたが、
おじいちゃんになったら小ボケをかますじじぃって感じのキャラクター。

まだまだそんな気持ちを感じられようはずがないけれど、
そんな感じで歩めたら道中楽しいなと思う今日この頃です。

ということで始めまーす。

▼目次
1.ただ隣に座っていた
2.いつの間にか作品作りに参加
3.まとめ


1.ただ隣に座っていた

鈴木さんと宮崎さんが初めて会ったのは、
彼が『ルパン三世カリオストロの城』に取り掛かったときのことだそうだ。
あるきっかけの取材で、亀山という同僚にサポートを頼まれ会うと、
「取材を受けたくない」と一言、あとはもう全然口を聞かない。
しょうがないから、腰掛けを持ってきて隣に座ると、


「じゃまだから、そばにいないでください。」

こうなったら意地。

ずっと隣に座り続けた。宮崎さんは午前2時くらいまで働く。

終わったところで「明日何時に来るんですか?」と鈴木さんが聞くと、

「朝九時だ。」と言う。

『カリオストロの城』は作画期間がたったの4ヶ月と言う中での
スケジュールで宮崎さんは本当によく働いていたそうだ。

鈴木さんはこれに付き合ってみようと思ったそうだ。
同じように午前二時に帰って次の日の九時に行く。

何日目だったか、宮崎さんが映画のカーチェイスシーンを見せてきて、
「こういう時、なんて言うんですかね?」

すると熱烈な競輪ファンだった亀山が「まくるという言葉がありますよ。」と言ったら、

「あぁ、なるほど」と言って、絵コンテに描いてくれた。
ちなみに、この絵コンテにはいまだに残っているそうです。

それをきっかけにワーっと喋り出したそうで、それが宮崎さん、
鈴木さんの最初の出会いだそうです。

(なんか、物語みたいで趣深いなぁ笑、人の価値観とか捉え方、行動でこんなにも情景って変わる。ただ、絵を描いている隣にいて、座って話した。だけなのに笑)

宮崎さんは未だ当時のことを「なんてうさんくさい奴が来たんだ」と思っていたそうです。

でも、結局のところ相性が良かったんだ。と鈴木さん。

2.いつの間にか作品作りに参加

出会いの時から、もう映画の内容の話になっていた。鈴木さんは当時をそう振り返ります。対抗しきれないのは悔しい!だから原作は全部自分のものにしていこうと思った。

当時は全部で八巻ぐらいあった漫画を真剣に読んで、原作のセリフを覚えたそうです。それとアニメーションは絵なので、ひとコマ、ひとコマ、人物配置まで全て覚えた。

そのぐらいやらなきゃだめだ。そうじゃないとこの人には勝てない、と。

いつのまにか、取材者と監督という関係を越えちゃっていて、作品作りに参加していた。


最後に打ち上げの時に、『カリオストロの城』の監督だった高畑勲さんに呼ばれ、高畑さんは深々と一礼。

「あなたと喋ったことが作品作りに本当に役に立った。あなたのおかげでこの作品の方向性が決まった。だから、あなたにお礼を言いたい。」

この一言は鈴木さん自身嬉しかったそうで、後に考えると、
これがプロデューサーへの第一歩だったと。

3.まとめ
ビジネスの現場にいて毎日を過ごしていると、ゴール、目標に対して合理的に、効率的にを追求するのは当然だ。

っていう前提にあるけれど、一つ一つの捉え方とか、自分の価値観スタンスはもっそゆるっと、愉快なものにしていきたいなーと。

きっと、宮崎さんをなんて偏屈で無礼なやつだ!と思うのは簡単で、こんな奴とビジネスなんかできるか!って自尊心を傷つけられてそれで終わりってこともあるだろうけど、

「なんだこいつ!面白い!」っていう合理性を超えた好奇心、めんどくさいことに首突っ込んでみる。人それぞれの価値観なのでなんとも言えないけれど、そんな感じでいきたいなぁ。

今日も一日楽しもー!

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