趣味の寿命は人生より短い
中学生から高校生の頃、ミニコンポがたまらなく欲しかった。夢に出てくるほど欲しかったし、当時ハマっていたZUNTATA(タイトーのゲーム音源制作チーム。当時はゲーム会社の音源チームがバンドを組んでイベントをやるのが流行っていた。)
の曲を重低音でバンバン流したかった(当時のZUNTATAのCDコレクションがそのまま現在も手元にあったとしたら、今のゲーム音楽マニアが目を剥いて驚くに違いない)。
しかし、実に驚くべきことだが、今現在、ミニコンポなど本当に、びっくりするほど、小指の爪の先ほども微塵も欲しくない。むしろ部屋にあったら邪魔だくらいに思っている。
また、昔はゲームマニアで、アーケード基盤を買ってまでゲームをやっていた。ギャロップやゼクセクス、メタルブラックにダイノレックスだ。
だが、現在では家庭用ゲーム機も全く持っていない。最後に買ったゲーム機がセガサターンなので、相当昔にはゲームへの関心が薄れていたのだろう(もっとも、気に入ったゲームは鬼の如くやり込んだものだ。パンツァードラグーンツヴァイで、最終面に到達する前に自機をブルードラゴンに進化させるほどやり込んだ、と言えば、このゲームをやった人なら「なにそれ怖…」となるに違いない)。
現在の趣味は、ほぼ生き物の飼育とプラモデル、アウトドアのみである。いや、3つもあるのか、多いがな、と思われるかもしれないが、現在飼育している両生類や虫、魚は簡単な餌やり以外は数日に一度の世話で十分な奴ら(意図的にそういう奴らを選んで飼っている)なので、何もしない日の方が多いし、アウトドアは現在オフシーズンだし、観光地の前日泊などを兼ねているため、厳密にはアウトドアそれ自体が趣味とも言い難い。
プラモデルもそろそろ潮時か
まだファミコンが発売される前、子供のおもちゃの王様はプラモデルだった。はっきり言って当時の金型技術では子供が簡単に作れる現在のようなプラモはまだなく、色の塗り分けもできなければ、パテで隙間を埋めるのも困難なキットばかりだったのだが。
私の幼少時からの人生で興味を持ったものを年代順に並べると
1生き物(幼児期)
2プラモデル(小学生)
3ゲーム(小学生〜)
4ミニコンポ(中学生〜)
となり、逆に興味を失った順に並べると
1ミニコンポ
2ゲーム
となる。
どうやら遅く興味を持ったものほど、早く人生にとってどうでもいいものになるようだ。
実際のところ、最近プラモデルに対する情熱が薄れつつある。端的に言って、自室に飾るのに、これ以上プラモを作るのが上手くなる必要を感じないのである。
いや、俺様はプラモが上手い、言っているのではない。私より上手い人は何万人もいるだろう。そうではなくて、自室に飾るのに、これ以上頑張っても今以上の満足はなさそうというのが見えてきたのだ。
もちろん今も欲しいキットもあれば欲しいフィギュアもある。しかし、その数は確実に減少していっている。あるいは別の言い方をすれば「この額を出してまでいらない」のその金額がどんどん下がっている。昔は一万円出してでも海洋堂の怪獣ソフビキットが欲しかったが、今では「たかが」怪獣の人形に一万円なんてとても出せない。
寂しいことではある。だが、若い情熱ならば、何でもかんでも保持し続ければいいというものでもあるまい。そこは色々と飲み込んで、これからも続けてゆくものにリソースを再配分すべきであろう。
「三つ子の魂百まで」というが、幼児の人格形成期に刷り込まれたものほど強いのだろうか。
まあ、年末年始にはグッスマのスーパーXとバンダイのゴジラ骨格のプラモが届くのだが…。