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畑中章宏『宮本常一 歴史は庶民がつくる』(2023 講談社)
読了。宮本の思想や仕事を概説する内容。
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柳田国男はあらかじめ20世紀列島に住む日本人を「私たち」と措定し、その上で民間伝承を比較してその租形や理念を探り当てようとし、「私たち」の「心」の解明ができると考えた。
一方その約三世代下にあたる宮本は「もの」(民具)を入り口として庶民の生活史をたどり、その「心」に到達しようとした。そして「日本はひとつではないこと」を描き出した。
柳田による大枠の「日本人」定義への宮本の保留・疑義には渋沢敬三からの教え「つねに傍流(=オルタナティブ)であれ」がつながる。
宮本の視点の対象であった庶民は歴史においてのオルタナティブな存在だ。
生活感情の面での庶民史の研究は主に戦後から始まった。それまでは武士・貴族・僧侶など有字社会である支配階級の視座からのもので、
庶民は大まかには一揆や抵抗する者、無知な存在とされていた。
そもそも民俗学とはかつての無字社会での文化伝承方法であった言葉と行為の繰り返し=慣習的生活の記録化(文字化)であり、文化の原型への遡行、文化の類型と機能の研究を行うものだ。
ということは宮本の思想は、支配階級が文字によって記録してきた本流の歴史に対する傍流である民俗学のなかでさらに傍流といえるのではないか。
加えて現代においては大きく注目されることが限られている民俗学という、社会全体の中の傍流でもある(三重の傍流)。
しかしこれは傍流である存在が無意味・無価値であることを意味しない。
2019年に『天気の子』が公開された半年程前に新海誠監督の本棚の画像が旧Twitterに投稿されたが、その中に宮本の『忘れられた日本人』が写っていたことは記憶に新しい。
新海監督は『君の名は。』以降ヴァナキュラーなモチーフを全面に出してメインストリームに躍り出た。
つまりふだんは傍流に沈んでいる伝承や慣習や民具などには庶民の「心」が埋め込まれており、それらを解凍しキャラクターと物語に乗せるなどの然るべき手順を踏めば一気に本流に浮かび上がる潜在性がそれらには備わっていると言えるのではないか。
また著作内にはその他にも宮本について、たとえば出身地である瀬戸内海の自然を自らと切り離した消費対象である観光資源ではなく「私たち」(柳田とは別の意味で)の一部として捉えなおそうとする景観論や、
美的観点よりも庶民生活のアーカイブとしての比重が大きく石川直樹にも継承されている写真論などが記述されている。
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