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<下流老人 Life Wreck> パソコンをオーディオ機器として使うろくでなしオヤジではある

 夜になって、もらったCDを聴く。
 と言ってCDを直接かけるわけでもない。新しく手に入れたCDはいったんWAVファイルとしてパソコンに取り込む。一応念のためMP3にも変換しておく。これは外出時にモバイルオーディオで聴くときのものだ。
 なぜパソコンに取り込むかというと、CDを置いておく場所が無いからだ。正確に言えばすぐに目的のCDを探して取り出すようなスペースが無いのだ。昔はラックに入れたりしてたのだが、どんどん押しやられて今では押し入れの一番奥に詰め込まれている。
 パソコンはとても便利なオーディオ機器である。巨大なジュークボックスと言っても良い。自分の気に入ったアプリケーションを使い、それなりのアンプとスピーカーに繋げば、数千、数万の曲をすぐに選び出して、それなりの品質で聴くことが出来る。もちろん、高級なシステムに繋げば高品質で聴けるわけだが。
 天文学的な投資をして最高級を追及するようなオーディオマニアでは無いので、もちろんそんなことはしない。中古で買った時々ステレオの片方が聞こえなくなる二十世紀製の古いアンプと、近くの家電量販店でいちばん安く売っていたスピーカーで十分である。そもそも歳取って高音は聞こえないし、耳の中では常に耳鳴りがしているのだ。微妙な音など聞きわけられるはずがない。
 以前はちょっとお高いサウンドボードを載せてたが、もうとっくに売っぱらってしまった。その代わり回路だけネットで買って画鋲のプラケースの中に組み込んだUSB-DATを経由してアンプに繋いでいる。
 CDなどの音源をデジタルファイルとして取り込むことをクリッピングと言う。ウィンドウズのメディアプレイヤーでも出来ると思うが、ぼくはなんとなく昔からなじみのあるフリーソフトのCDxというアプリを使う。今は更新も止まって、時々なんか訳のわからないエラーが起きるんだけど。ソフトもいいかげん年寄りだ。
 ただこれだけだと楽曲ファイルの整理が付かない。タグ付けをする。タグというのは音楽ファイルを再生するときに曲名を表示させたりするデータのこと。SuperTagEditorというやはりフリーのアプリを使う。これも年寄りだ。こういうのは面倒でなかなか新しいのに乗り換えることが出来ない。
 ウイスキーの水割りを作る。準備は出来た。
 パソコンの音響出力は普段はモニター経由でパソコンスピーカーなのだが、この電気代高騰の折に贅沢にも、据え置き(二十世紀)アンプに切り替える。
 再生用アプリは今はfoobar2000だ。これもフリー。ほんとに何でも無料でやれてしまう。作者にはただ感謝あるのみだ。このソフトの良いところはカスタマイズの自由度が高いところ。最近になって大幅バージョンアップが行われた。今までちょっと見た目で気に入らないところがあったのだが、これでシステムとの統合が可能となり,パソコンの表示設定を反映できて違和感が無くなった。
 スタートボタンを押して再生を始める。
 ジャケット写真も表示させるようにしておいた。ぼくにとってはすっかりなじみの絵が表れた。
 というのも、実はこのCDのジャケット、盤面、ブックレットの編集と版下を作ったのは、ぼくだからだ。友人のシンガーソングライターからの依頼だった。彼は福島の原発事故からの避難者で、今回のCDはその避難生活の中から生まれた楽曲から編まれている。
 彼はこれを無料配布、というか受け取った人が自分で値段を付けるという方式で渡していくのだという。今日はその披露会が開かれ、ぼくも招待にあずかった。そこで初めて自分の仕事の結果を見ることが出来たというわけだ。
 酒が出た。ビール、純米酒、芋焼酎。普段飲んでいる一本百円の発泡酒や四リットル三千二百円のもはや何であるかわからないウイスキーもどきとは違う、本物の酒だ。もちろん料理もちゃんとしている。ぼくは酒をあおって、ペースも上がった。こうなると制御が効かない。参加ミュージシャンや協力者の方々がいる中で、ひとりしゃべり続けた。しかもCDや音楽とは関係の無い自分の昔話を。
 時々こういうことがある。飲み会の席で突然テンションがマックスまで上がってしまう。ぼくは良い気分のまま、近所の人のクルマで家まで送ってもらった。
 家の中は暑い。昼の酒はひどく効く。ぼくはそのまま倒れ込むようにして寝た。
 外が暗くなり始める頃、ようやく目が覚める。まだ頭には霧がかかっている。そして沸き上がってくる自己嫌悪。ああやってしまった。ひどい気分。部屋に充満する熱い空気、残った酒と自己嫌悪。ああ嫌だ。もう飲むしか無い。今度は百円の発泡酒とウイスキーもどきを。
 飲みながらCDの音源を取り込み、汗だくになってシャワーを浴び、それでまた汗をかき、また飲む。そして夜は深くなり、あらためて仕切り直し、やっとちゃんと歌を聴く。
 これからもずっとこんなことを繰り返していくのだ。自己嫌悪の水底を這いずりながら生きて行くのだ。ろくでもない飲んべえオヤジとして死んでいくのだ。CDの歌は、そんなぼくを、いつまでも励まそうとしている。

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