2020/03/15 ショートカット幻想

もっと早くできるはずだ、もっと上手くできたんじゃないのか、という問いはいつも付き纏う。いわゆる「ショートカットは存在するんじゃないか、自分は気づいてないだけなんじゃないか」という思いだ。

おれは最近、これは幻想なんじゃないかと思っている。少なくとも「ショートカットしよう、早くしよう」と意気込む限りにおいて、ほとんどの場合に結果はむしろ悪い方に行き着く。

だいたい、自分からもっと早くできないかって悩んでる人間はじゅうぶん頑張ってるから、そのときの出力が最大なんだと思ったほうがいい。本気でやってるやつはとっくに工夫してるわけで、これ以上思いつかないんだ。人間の成長はかなり時間がかかる。ウルトラCが突然出てくるなんて、それこそ幻想だ。

だからすでに十分に努力している人がショートカットを意図すると発生するのは、理解の浅い状態で場当たり的に生み出された成果物や、ハック的に数字が出るような手段への傾倒になる。あるいは誰かにやってもらうとか。

しくじり先生よろしく、過去の反省を踏まえて取り組んでみるのはまだいい。成果につながるケースもある。しかし、ショートカットできると信じて焦る人間はその「反省を生かす」取り組みが難しい。ほとんどの反省は、深い理解と慎重な手順を要求するからだ。

おれは最近思う。王道をやるのがいい。遠回りに見えても、徹底的に理解してから進めるのがいい。理解を削ぎ落とすのではなく、やることそのものを削ぎ落とすのはアリだ。でも忘れるな。本来必要なものをサボったら、それは必ずあとで自分の首を締める。意思決定者に伝わらないなら秘密のラインを作ってでも進めるんだ。そのぐらいの意思を持って、ショートカット幻想をつぶすんだって思って初めて、本当の「ショートカット」になる。だっておれたちが日々やってる一番きつい遠回りは、過去にやった仕事のミスや不足の補填なんだから。

そういうわけで最近は「後でいいやこれ」っていうのをできるだけ減らしている。やりたいことが山ほどあるので、その分把握することすら捨てていることが増えてきたが、意味不明な手戻りで時間を無駄にするケースはかなり減ったように思う。

そんな、今日まさに無駄になりそうなtoilをつぶしながら、思った話。

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