経営と年季といまのスコープ

年の瀬なので(?)、経営は年季が必要という話について考えている。

先日企業売却に関するリリースを発表させてもらったばっかりでいうのもなんだけど、何年後になるかわからないがまた集中して自分の会社をやる時期が来ると思う。小さくても創業経営者を経験すると、これを生涯もうやらないという選択肢はないもののように感じる。個人的には。

で、まあ経営は続けるしまたやる、というつもりでいると、何かで聞いた経営だけは才能やセンスだけではできない部分がある、ということを思い出す。早い話が、経営には年季がいるということである。

2年間取締役を、4年間代表取締役をやってきて思うのは、経営という立場に「できれば」あったほうがいい側面というのがおそろしく多いということだろう。経営計画、事業計画、採用、ビジョンの定義、実現にあたってのオペレーション、法的リスクなどの事前検証、ソフトウェア開発のベストプラクティス、顧客開拓やマーケティング、ブランディング、などなど、挙げていけばキリがない。

とはいえ、わからなくても専門家やチームメンバーの力を借りて進んでいくことができるのが、チームで働くことの良さでもある。頼る力、対話する力があればかなりの部分は「成り立つ」。

とはいえ経営者がわかっていないと、全体がなかなかつながらなかったり、全部が50点という状態になったり、意味のないことにメンバーの時間を使わせてしまう(ドライにいうなら企業の資源の無駄遣い)など、弊害が出やすいことは確かで、経営はサイズによって2つのことを学んでいくことになる、と思う。

一つは現場に対する解像度を上げること。小さければ小さいほどこれが重要で、結局のところその部門は何が実現されれば事業成果に結びつくのかを正確に理解して方向づけをする必要がある。

もう一つは、経営が直に対峙するマネージャー層のレベルを上げ、具体的なところを経営が知る必要すらなくしていくこと。経営の思考リソースは詰まるところ人間の脳みそのサイズまでしか拡張できない。抽象化や捨象(使い方間違ってそうだなこれ)を駆使していかないと、見れない部分が発生していく。大きな組織のミドルマネージャーは小さな経営者のようなもので、これは階層が連なっていく、とみていいと思う。

ともあれ、この両輪を活用することで、どうしても120点がほしいところにテコ入れしながら、組織ができることを増やしていく、という感じ。

で、じゃあなんで年季がいるのかというと、これって時間かけないと、経験しないと正しく重み付けができないことが本当に多い、ということにある。学習速度の差こそあれ、例えば年に一回しかない制度の影響がどう出るかとか、どの年代の人をどのくらい採用して、どうコミュニケーションするとどんな変化が起きるのか、とかは想像力だけではとても賄い切れない。人は多様で、事業のドメイン知識も深いので、このあたりに時間がかかるんだな、というのを思い知った(思い知り続けている)これまでだったなあ、と思ったりしている。

自分はというと、ミクロのやりきりの能力、ここでいう現場の解像度を高めきれないまま今日に至るなあという気持ちで、広く経営というよりも、結果の出る現場が持つ特性を自分に身につけるにはどうするべきか、というのを今のスコープにしている。

狭い範囲でいいので、5年後に振り返っても自慢したくなるような、アレ本当によかったねと関わった人に言ってもらえるような仕上がりを増やしていくことで、経営の筋トレの中でも、部分トレみたいなことができていくといいなとか、思ったりしております。

そういうわけでみなさん、特段なんもないですが、良いお年を。

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