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トルデジアン 2022 ① 準備編

TOR DES GÉANTS

Tor des Géants (トルデジアン) というレースをご存知だろうか? NHK グレートレースで何度も放映されているので、観たことのある人も多いと思う。

このレースでは、イタリアはクールマイユールを起点にヴァッレ・ダオスタ州を反時計回りにぐるりと一周する。このトルデジアン以外にも同時に複数の大会、TOR30、TOR130、TOR450が開催されている。トルデジアンはTOR330となる。名称に330が含まれるように、当初は総距離330km、総獲得標高24,000m+だったが、徐々に長くなり2022年のコースは総距離349.3km、総獲得標高30,879mまで増えている。

ちなみに、TOR130 - TOT DRETはトルデジアンの後半、グレソニーからクールマイユールがコースとなる。このTOR130を完走すると、トルデジアンの参加権が得られる。トルデジアンに参加したいが海外レースの経験がない場合、トルデジアンの抽選に外れた場合には良い選択肢になると思う。

ヴァッレ・ダオスタ州
大会公式のコース概要図
(黄色のラインがTOR330のコース)
州都アオスタを中心に一周しているとも言える

アオスタはローマ帝国が築いた都市で
イタリア人にも観光地として人気があるそうだ

TOR330 2019年参加へ

私がこのレースを初めて知ったのはトレランを始めて数年の頃。いずれはUTMF、そしてUTMBに出たいと夢見つつ、100マイルという長さに恐れ慄く、典型的なトレラン初心者だった。ましてやトルデジアンの200マイル (320キロ) という距離には「いくらなんでもやり過ぎだろう、変人向けのレースだな」くらいの認識だった。

それがトレランの経験を重なるにつれ友人も増え、その中にはトルデジアンを完走した人もちらほらいた。山を走るのも好きだけど、歩くのはもっと好きな自分にとっては、いつかは挑戦したいレースへと位置付けが変わっていった。

そして2018年に初めてエントリー。トルデジアンは落選すると、翌年度の抽選倍率が高まるというシステムなので、それ狙いではあった。しかしその時点では100マイル レースの完走経験無し。エントリー後の2018年のUTMFで42時間強かけてやっと完走できたレベルだったので、この年に当選していたら悲惨な結果に終わっていたことは想像に難くない。

翌2019年もエントリーすると、当選してしまう。そこからはトルデジアンに向けて全力で準備開始。チーム100マイルに加入し、TrainingPeaksというトレーニング管理サービスでコーチングも申し込む。コーチには練習メニューを作成してもらい、週イチで練習振り返り、月イチでZoom 1-2-1、そしてレース毎に評価レポートを作成した。まるで仕事のようだったが、こんなシリアスにレースに取り組むのは初めてだったので、新鮮で楽しく、あっという間にレースを迎えた。

2019年のトルデジアンでは「自分は絶対完走できる」と不思議なまでの自信に満ちていた。しかし、山々の想像を超えるデカさに圧倒され、結果は287km地点の最終ライフ ベース オロモントの関門130時間を2時間オーバーしDNF。意識も朦朧とし、関門に間に合っていないことも分からない位だった。関門アウトを認識した後も「まだ動けるから次に進ませてくれ」とお願いするが当然却下され、呆然としたことをよく覚えている。

オロモントのライフベースでビールを飲み、崩れ落ちるように眠ってカーボン ストックを失くしてしまうという、まさに踏んだり蹴ったりの状態だった。

レース終了の翌日に行われるセレモニーも悔しくて参加せず「完走してから出る」とうそぶき、アオスタ観光に行ってしまった。

もっとも完走した今となって振り返れば「2019年当時の走力と山力でよくオロモントに辿り着いたもんだ、結構頑張ったんだな、俺」とも思う。

2019年 Parma 小屋で食べた、
エイド食ではない豪華ランチ

この時点では自分が完走できないとは、
微塵も思っていなかった

ちなみにライフベースとは、コース上に6箇所設置される大エイドのこと。ドロップバッグを受け取り、装備を入れ替えることができる。また、食事はもちろんのこと、仮眠所、シャワー、マッサージ、テーピングからビールやワインまで提供される。トルデジアンはこのライフベースでコースを区切った、7ステージのレースと考えることもできる。

トレランどん底期

2019年のDNFからトルデジアンロスがひどく(レース終了の翌週にでも最初からやり直したい気分だった)、2020年もエントリーするがこの年は落選。諦め切れずにえいやっとチャリティ枠でエントリーした。しかし、2020年はコロナ禍により大会は中止。参加権は持ち越されたのがせめてもの救いだった。

国内の大会もコロナのため軒並み中止。唯一開催された100マイルレースであるKOUMIに参加するも、雨で弱メンタルを削られ、3周目途中で自分から走るのを止めてしまった。

思い返せばこの頃が、トレランを始めてから一番のどん底だった。目標としたトルデジアン、KOUMIで連続DNF。KOUMIは大雨で完走率が低かったとはいえ、チームメイトできっちり完走した友人も何人もいた。チーム100マイルの練習では、サポートカーに回収されたこそなかったものの、後ろで付いていくのが精一杯。レースで結果を出せないため、TrainingPeaksでコーチングを受けるのも止めてしまった。

この時期はかなり陰々滅々としていたと思う。こんなにも結果の出ないトレランを、少なくともシリアスなレースを目標とすることをやめなかったのは、山を走ること・歩くこと、それもレースとして好きだったからだと思う。

この頃はコロナで先が見通せないこともあり、いつしかトルデジアンのことは忘れていった。そして、まずはKOUMIでリベンジして完走しないことには次に進めない。そう思うようになっていった。

2020年 KOUMIでは同じ思いをした人も多かったと思う。翌2021年大会では、参加者のみんなに「よし、今年こそやってやるぞ!」とすごい意気込みがあった。

大会は晴天に恵まれたこともあり、レース結果は自分にとって上出来過ぎる32:56:27での完走。チーム100マイル有志がKOUMI対策会議を開催してくれ、レース プランニングの方法を勉強できたのも、とても役立だった。

KOUMI 2021 ゴールシーン。嬉しかった!

このめちゃ色落ちしているザックはサロモンADV SKIN12
もう元の色がほとんどわかりませんね

トルデジアン2019でも使いました
愛着あるけど、そろそろ引退かな

自分の中でも調子が上向いてきたことを感じていた2021年後半だった。しかし好事魔多し、11月下旬に左鎖骨を骨折してしまう。瞬発力、反射神経、体の使い方の能力向上、そして何より楽しみのために参加していたサッカーの試合中でのことだった。

この鎖骨骨折により、12月いっぱいトレーニングは全く出来なかった。12月上旬に手術を受けプレート埋め込み。手術後の自宅療養時は、毎食後にロキソニン服用。薬が切れるとすぐに目が覚めるので頓服にカロナールを服用しないと痛くて眠ることもできない状態だった。

少なくとも4ヶ所以上に粉砕骨折

1月になってトレーニング再開の許可は出たが、鎖骨に衝撃を与えないようにZwiftでのロードバイクトレーニングのみ。結局2ヶ月以上、山どころか走ることもできないまま過ごさざるを得なかった。

怪我前にたまたま準備していたZwift環境

Zwift環境があったおかげで
有酸素能力の落ち込みを最小限抑えることが出来た。

今年はまだ外で一度も乗れていないので、可哀想過ぎる。

怪我前には、トルデジンと並ぶもう一つの目標、憧れのサイラー、彩の国100マイルに挑戦するつもりだった。普通なら2ヶ月ノーランから彩の国100マイルは無理と見送るところだったかもしれない。しかし、持ち前の能天気さでエントリー。サイラーを目指して練習することが、トルデジアンに向けた登坂能力向上にもなるはず、という確信もあった。そして、ほぼ同じ頃にトルデジアンに参加権を行使してエントリー。

彩の国に向けてはとにかく試走を繰り返した。2月はまだトレイル下りの衝撃で鎖骨が痛んだため、グリーンラインを中心に。3月からは実際のコースでの試走。大会当日までに峠走も含めて12回の試走を行った。練習再開後はほぼすべての週末とGWを彩の国の練習に捧げたと言っても過言ではなかった。

試走を開始した頃は、峠付近はまだ雪が多かった
鎖骨に衝撃を与えないよう恐る恐る走る

そして、彩の国の本番は34:18:52で完走。関門まで終始40分~1時間程度の余裕しかなかった。しかし、KOUMIでのレースプランニング、そして試走を繰り返した経験から、関門時間に余裕はないものの、気持ちには余裕のあるレースをできた。

ゴール直後
彩の国は、ホスピタリティ溢れる、ホントに良いレース

トルデジアンは彩の国100マイルを完走できなくてもゴールできるが (特にレース マネジメントに長けた人や、トレランではなく登山ベースの人)、春に彩の国完走目指して練習しておくことは、トルデジアンに向けてもよい準備になると思う。

TOR330 2022年に向けて

彩の国100マイルを完走し、サイラーになれたこと。これは大きな自信となった。そして「彩の国100マイルを完走できる登坂能力は、トルデジアンに向けても充分通用するはず」と自己分析し、夏の練習内容を身体能力ではなく、山力向上を中心とすることにした。

具体的には、標高2,500m以上での低強度ハイキングのボリュームと宿泊滞在を可能な限り長くする、という方針だ。これは高地順応は運動強度ではなく高所での滞在時間に比例すること、そしてトルデジアンに向けては歩く練習が最重要と考えたからである。その方針のもと、夏の間に以下の大きな練習を積み重ねることができた。

  1. チーム100マイル 箱根外輪山 (6/12)

  2. チーム100マイル自主練 御殿場レペ & 宝永山 (6/19)

  3. 甲斐駒ヶ岳 黒戸尾根ピストン (日帰り 6/25)

  4. 不帰キレット (キレット小屋泊 7/2-3)

  5. チーム100マイル 御殿場レペ & 宝永山 (7/10)

  6. OSJ ONTAKE 100km (DNF 7/17)

  7. 槍ヶ岳 & 大キレット(南岳小屋泊 7/23~24)

  8. チーム100マイル合宿 岩手山 & 八幡平 (7/30~31)

  9. 北アルプス ソロ合宿 (テン泊 8/6~10)三俣山荘にテントを張り4泊5日。

  10. 富士山 (赤岩八合館泊 8/20-21)

ほぼ毎週チーム練習か山行だった。関東のトルデジアン参加者は富士山を練習のメインとすることが多いと思うが、自分は可能な限り北アルプスへと行くことにした。

富士山は登りの練習にはとても良い。しかし、トルデジアンで必要な長期縦走的なコース設定が難しいこと、そしてまた、北アルプスが大好きだから、という単純な理由でもあった。

いま振り返っても、北アルプスでの山行を積み重ねたことは、トルデジアンに向けて非常に良い練習となった。いくつか例をあげれば、

  • 標高2,500m以上の滞在をずっと維持できたので高地順応に効果的。

  • トルデジアンでも穂高の岩稜地帯のような地形はコース上で頻発。

  • 高地で長期キャンプすることにより、トルデジアンで必ず起こる山の問題をシミュレートできた(浅い睡眠、血中酸素濃度低下、疲労状態での長時間行動)。

大キレットは晴天に恵まれて最高だった

とはいえ、反省点・改善点も多い。

  • 彩の国からの回復が充分ではなかった。6/12 チーム箱根練、6/19 チーム自主練 宝永山、6/26 甲斐駒ケ岳 黒戸尾根ピストンと、連続して後半からチームメイトに付いていくことができなかった。

  • 北アルプスへの山行はすべて夜行バスを使用したため、睡眠不足での疲労蓄積が激しかった。また、北アルプスは標高の高いところまで一度上がってしまうと、その後のアップダウンはトルデジアン練としては物足りなかった。

  • ONTAKEの頃には疲労しきっていたのが自分でも分かっていたので、そもそもレースに参加するべきではなかった。結局、レース自体も最初の20kmで身体が動かなくなり1周目で終了してしまった(もっともDNF自体は正しい判断だった)。また、ONTAKE自体も、トルデジアンに向けての準備という観点からは適切な選択ではなかった。

疲労マネジメントに関する課題が特に多い。

実際、8/20-8/21の富士山終了後は練習する気力も衰え、食欲も減退していった。これは、オーバートレーニング症候群、もしくはその一歩手前だったと思う。なので、当初は8/27-28も山行を考えていたが、この富士山練後にそのままテーパリングに入った。練習計画に固執すること無く、身体の疲労状態から計画を修正できたのは良かった。実際、疲労から回復して身体に活力を感じたのはテーパリング開始から10日後のフライト直前だったので、かなり危うい状態であった。

そしてイタリアへ。まだ山行は続く

幸い長めの有給が取得できたので、レース1週間前のフライトでロンドンを経由しクールマイユールに向かった。

無理やりロンドン経由し、念願のレ・ミゼラブル
People's Songを聴くと鳥肌が立つ!

ジュネーブであり得ない値段のランチに泣きつつ、FlixBusでクールマイユール、今回のトルデジアンの拠点、Hotel Crouxへ向かう。

Hotel Croux
バスステーション近くで建物も新しい。
レーススタート地点までも徒歩数分。

日本からのトルデジアン参加者は Hotel Pavillonに泊まる人が多いかと思う。私も2019年に泊まった。

クロワッサンは美味しいし、日本人同士での情報交換もしやすい。そして何より、レース中に実際に宿泊した日数分のみの支払いでOK というのが素晴らしい(オンライン予約ではなく、メールでトルデジアン参加する旨伝える必要ありとのこと)。しかし、街の中心部や受付の行われるスポーツセンターに遠いのが難点。ツアー参加であれば送迎してくれるのでいいのだが、ソロであれば Hotel Crouxもお薦めできる。

イギリスでもないのに
Hotel Crouxでは朝食に卵を焼いてくれる

美味しかった!
スクランブル エッグやオムレツも選べる
クロワッサンも美味!

このクロワッサンは全部で何個食べただろう

Hotel Crouxに一泊してから荷物を預けて、イタリアの山々へ!

せっかくなのでトルデジアンでは通らない、 TOR450 - Tor des Glaciersのコース上の小屋を目的地とした。Tor des Glaciersとはトルデジアンを130時間以内で完走した人のみが参加できる450kmのレース。この凄まじいレースを完走しているチームメイトから、お薦めの小屋をあらかじめ教えてもらっていた。

クールマイユールからバスを乗り継ぎ、そこから2時間ほどのハイキングで標高2,750mのChabod小屋へ。この小屋は、家族経営といった感じのフレンドリーな雰囲気で、とても過ごしやすかった。

Rifugio Chabod
テラスが最高に気持ち良い
小屋近くのお気に入りの岩

この岩で寝転がりながら
昼寝したりKindleで読書したりと至福の時間を過ごした


Chabod小屋ではのんびりと2泊。中日にはTor des GlaciersのコースをPassage du Grand Neyronまで歩いてみた。

Passage du Grand Neyron (3,252m) からの眺望
TOR330最高地点のCol Loson (3,299m) はこの先すぐ

このNeyronからの眺望は最高だった。「この風景の中に身を置くために俺はまたイタリアに来たんだ」そう身震いした。

それと同時に実感したのは、Tor des Glaciers コースの難易度の高さ。

イタリアのトレイルでは、標識に概算所要時間だけでなく、コース難易度も記載されている。このPassage du Grand Neyronへのルート難易度はEE。Col Loson方面に少し下りてみたが、日本で言えば涸沢岳から北穂への難易度くらいに感じた。鎖やステップも多数。もし登山するだけなら、絶対に登りで使いたいルートだった。これが下りでレース コースに含まれているTor des Glaciersとは!

Passage du Grand Neyronを少し下りて振り返る
コース標識
難易度表示は日本の山の標識にもあるとよいと思う

Chabod小屋の後は、グラン・パラディーゾへの登山コースを歩いてから、Tor des Glaciersのルートを逆走し、Rifugio Vittorio Emanuele IIへ。

グラン・パラディーゾへのルートを氷河の手前まで歩く
Rifugio Vittorio Emanuele IIへのトレイル
雄大で素晴らしかった

Rifugio Vittorio Emanuele IIは、この山域最大規模とのこと。アットホームさはないが機能的に運営されている。槍ヶ岳山荘みたいな感じと言えば伝わるだろうか。

Rifugio Vittorio Emanuele II
なぜかスモーカーが多かった
Rifugio Vittorio Emanuele II 小屋そばの池

池の中にある岩に行きたかったが、
二人の世界となっており、とても割り込めなかった

どちらの小屋も宿泊費は日本の山小屋と比べても安く、食事のボリュームも多くて素晴らしい滞在ができた。夕朝食付きのhalf boardでChabodは50ユーロ、Vittorio Emanuele IIは42.5ユーロ。どちらの小屋も夕食は前菜(パスタまたはスープ)、メインで肉料理、デザートにチーズ、果物(缶詰)、スイーツから選ぶ。きっとこれがイタリアの山小屋の標準なのだろう。

前菜の野菜スープ
写真写りはいまいちだが、味は濃厚でパンによく合う
メインの肉料理
これも美味しかった
デザートにはプリンを選ぶ
日本で言う昔ながらのプリン的な味

両方の小屋ともハイキングの拠点というよりは、グラン・パラディーゾ登山のための基地といった感じで、宿泊客の80%は冬山装備の登山者だったように思う。

グラン・パラディーゾをこの3日間でどれだけ眺めただろうか。「次回トルデジアンに来るときには、ガイドを付けてグラン・パラディーゾにも登ろう」と決意。そして、Tor des Glaciersのスタートを見送り、トルデジアンのレース準備のため、クールマイユールに向けて下山した。

TOR DES GLACIERS スタート

Vittorio Emanuele IIから下山し、バスを乗り継ぎクールマイユールに戻る。Tor des Glaciersのスタートは20時。参加者全員が過去Tor des Géantsを130時間切りで完走した強者ばかりだ。日本人参加者は2名のみ。無事にスタート前の2人に挨拶ができた。

Tor des Glaciers、いつかは出てみたいけど今はまだ遠い夢。まずは自分のトルデジアンに集中せねば。

選手受付

Tor des Glaciersのスタートから明けて翌土曜日はトルデジアン選手受付。場所は2019年と同じクールマイユール スポーツセンター。事前情報通り、装備品チェックはない。これはトルデジアンに出る選手であれば、わざわざチェックする必要もないということだと思う。ルールだから持つのではなく、必要だから持つ。そして、必携品は文字通り必携品だ。トルデジアンでは非常事態が起こったときではなく、通常のコンディションですべての必携品を使う可能性がある。

ドロップバッグの受け取りは、事前に整理券を入手して番号順。これは2019年と同じだがすっかり忘れてしまい、入手が遅れ番号は500番台となってしまった。入手時点では200番台前半だったので、まだまだ時間がかかりそうだ。

同じく受付に来ていた他の日本人選手と談笑しながら順番を待つも、全く進まないので外でランチを食べてくる。しかし戻ってもまだ400番台。こんな時は日本の妙な効率の良さが懐かしくなる。最終的にバッグを受け取ることができたのは、整理券入手から3時間以上経ってからであった。

配布用のドロップバッグがずらり
バッグにはゼッケン番号が既に書かれている

急ぎホテルに戻りパッキング。ドロップバッグ預けは土曜日20時まで可能だったが、レース開始直前に入れ替えが必要になる事態に備え、当日に預けに行くこととする。

2019年に比べて布地の強度は上がり、
ファスナーもYKKになっている。

しかし、ドロップバッグの容量は体感で1割減くらいか。
シューズは予備2足を入れる予定だったが、1足削ることになる。
2019年トルデジアンからの相棒

長い下りではポールをしまう予定なので、
サロモンのCUSTOM QUIVERを外付け

ポールを直接ザックに固定するよりも安定するし、
出し入れがしやすくて◎

さあ、いよいよ明日は待ちに待ったトルデジアンのスタートだ。逸る気持ちを抑え、早々にベッドに入った。

(レース編へ続く)

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