トルデジアン 2022 ⑧ レース編 (オロモント〜クールマイユール)
レースはいよいよ、クールマイユールへの最終セクションを迎えた。2019年には進めなかったセクションだが、感慨に耽る余裕もなく、オロモントのライフベースを金曜日17:04に出発した。
レースも残り23時間。クールマイユールを日曜日10時にファーストウェーブのランナーとして出発し、クールマイユールの最終関門は土曜日16:00となっている。
セクション7は距離50.8km、累積標高4,277m。
このセクション7は、疲れた身体でも20時間あれば終えることができるだろうと踏んでいた。しかし、何があるかわからない。潰れないくらいにペースを上げつつ先を急いだ。
最初の峠、Champillonまでは順調に進む。峠を越える頃には日が沈み、ヘッドライトを装着する。急な長い下りの後に、長いトラバースが続く。山は右側、左側の眼下遥か下には、街の灯りがみえる。滑落すれば、ただではすまないだろう。道幅は狭いわけではない。しかし、所々に大きな岩や崖側に削れている箇所があり、ペースは上げられない。レースも5日目となり、自分の瞬発力、バランス能力が低下しているのが分かる。慎重に進む。後続のランナーに追いつかれることもなかったので、みな苦労していたのだろう。
麓まで下りたところで一息つき、歩きながら補給をする。右のグローブがない。羊羹の包装を開ける時にグローブを脱いで、その時に落としたようだ。ちょうど霧雨が降り始めていた。「なんでちょうど雨が降り始めたこのタイミングで、レイングローブ落とすんだよ。バカか。マーフィーの法則か」と自分に毒づく。
少しコースを逆走して探してみるが見つからない。すぐにあきらめ、先に進む。やがて、ほどなくPonteille Desotエイドに付いた。大急ぎでポレンタにソーセージに肉を流し込み、次に進む。雨はやがて本降りとなった。牛小屋に避難し、レインウエア上下を着込む。
ここからは10kmの下りの林道。夜も更け、眠気もきついが、ここは走らないとダメな区間だ。大声で「イッチ、ニー、イッチー、ニー」と叫びながら走る。声を出すのに疲れてくると「イッチ、ニー(心の中でサン、シッ)」に切り替えた。
林道を下りきり、Bossesエイドに0:31到着。土曜日となっていた。ランナーがスタッフにベッドの状況を確認している。「睡眠は1時間まで、現在は2時間待ち」とのことだった。とてもじゃないが、そんなに待つことはできない。
エイドの床は倒れ込んでいるランナーで溢れている。前のセクションで一緒に進んだ、辻本さんの姿がみえる。「一緒に行こう」と後で声をかけようと思いながら、長椅子で15分ほど目を瞑り横になる。
起き上がると辻本さんの姿は既にない。先に進んだのか、ベッドで休んでいるのか。スープを飲み、エイドを出る。しばらくロードを進んだ後に登山道に入る。
登山道に入ってすぐ、雨がみぞれに、そして雪へと変わる。「マジかよ」と思いながら先に進む。やがて風も強まり、吹雪となった。
両手が、特にグローブのない右手が猛烈に冷たい。グローブの予備はザックに入れていなかった。このままじゃやばい。補給食やヘッドライトを入れていたジップロックを取り出し、グローブのように両手に着ける。吹雪を見事にブロックしてくれる。この技はこれからも使えるかもしれない、と脳天気なことを考えながら更に進む。
吹雪で視界が悪く危険なので、先を行く3人組の後ろにつく。しばらく一緒に進むが、だんだんと遅れ始める。わたしの後ろのランナーに道を譲るため、トレイル脇に避ける。すると、「Don't stop!」と声をかけられる。「Don't stop! we go together!」とまた声をかけられる。
イタリア人ランナーは、私よりも高齢で60近かった。
「この吹雪ではレースも中止となるかもしれない。完走の条件がどうなるか分からないから、次のFrasaati小屋には辿り着いておこう」などと話しながら一緒に進む。
彼も体力は限界近いようにみえた。お互いにペースを合わせなあら、先に進んだ。
彼は、ペースの落ちた日本人ランナーが心配となり声をかけたのかもしれない。それとも、単にペースが一緒くらいにみえたから一緒に行こうと思ったのかもしれない。理由はどちらでもよかった。人と一緒に進めるのは、本当にありがたかった。
やがて、Frasaati小屋の灯りが見えた。彼に深く感謝しながら、Frasaati小屋に入った。
Frassati小屋に入ってからも、吹雪の止む気配はなかった。スタッフから、「レースは吹雪のため一時中断となり、マラトラ峠に進むことはできない」と伝えられる。
小屋には、日本人男性ランナーの高坂さんがいた。これまで何度か前後したが、彼は歩くペースが速いため、一緒に行動したことはなかった。もうビールを飲んでいる。
とりあえず小屋で食事をする。すると、日本人女性ランナーの伴さんも小屋に入ってきた。このパターンはレース中、何度目だろう。
よっぽどビールを飲もうかとも思ったが、レース再開の可能性に備え、2階に上がり、床で横になり眠る。
朝起きると快晴の天気となっていた。小屋の外は雪景色だった。
とてもレースが再開できる状況とは思えなかった。やがて、スタッフからアナウンスがあった。「レースはここで終了と決まった。一つ前のエイドに戻り、そこからクールマイユールまでは大会側がバスを運行する」とのことだった。
また、「このFrassati小屋、および一つ前のBossesエイドに関門時間までに辿り着いている選手は完走扱いとなる」との説明もあった。
説明を静かに聴く選手たちの落ち着きが印象的だった。そして、説明が終わるや否や、みな下山の準備を始めた。日本の大会でも、参加者たちはこんな大人の振る舞いができるだろうか。
これが自分のトルデジアンの終わりだった。クールマイユールからFrassati小屋まで公式ルート表では距離329.7km、累積標高29,862m。139時間14分25秒の行程となった。
クールマイユールまでは残りわずか20km、1,000mの上りを残すのみであった。しかし、不思議と悔しさはなかった。この雪では、レース続行不可能であることが明白であったからかもしれない。また、吹雪で中止とさえならなければ、完走できたと確信していたからかもしれない。
クールマイユールのゴールゲートを自分の足で踏めないことだけが残念だった。しかし、それさえも今度また来る理由ができた、なんてことを考えていた。
下山後に妻に連絡すると、ライブ中継されていたゴールシーンをスクリーンショットすべく、待機していてくれたそうだ。「完走扱いにはなったけど、ゴールを自分の足では踏めなくなった」と伝えると、自分よりも残念がってくれたのがありがたかった。
レース翌日は完走セレモニー。このセレモニーは、その一体感で有名だ。そして、その期待は裏切られることはなかった。
大会セレモニーでは完走者ひとりひとりの名前が呼ばれる。それだけで、壇上で完走メダルをもらったりするわけではないのだが、これがとても感動する。
友人が自分の名前を呼ばれるところのビデオを撮ってくれた。上ずっているのか、友人から何度か名前を呼ばれても気づいていない。そして、いま観ても、我ながら満面の笑顔だった。
完走者全員の名前が呼ばれた後には、全員Finisherシャツに着替え、集合する。そして、MCが「レースのこれまでの道のりを思い返そう」と促す。思い返してみる。ちょっと、というか、かなりじんわりときた。すべてが楽しかったと思える。早くも記憶の美化が始まっていた。
そして、その後は音楽と共に盛り上がって、セレモニーも終わった。一体感と高揚感に包まれたセレモニーだった。このセレモニーの素晴らしさも、トルデジアンにリピーターの多い理由の一つだと感じた。
これで、トルデジアン2022もすべて終わりだった。寂しさはなかった。ただ、また来ようと思っただけだった。
(レース編、完)