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トルデジアン 2022 ⑦ レース編 (ヴァルトロナンシュ〜オロモント)

レースはセクション6となった。このセクションの目的地はオロモントのライフベース。2019年に関門アウトとなった、思い出深い場所だ。TOR330で難関と言われる、偶数セクションの最後でもある。

距離50.3km、累積標高5,055mのセクション。Aゴールでは、18時間程度の行程と考えていた。しかし、土砂崩れがあり、レース数週間前に4km、700mがカットされるコース変更がアナウンスされていた。レース全体の中ではわずかな短縮である。しかし、カットされた箇所は急傾斜の上りの後に、ずりずりの砂地の下りが続く。2019年にも苦しめられたことを覚えいている。おそらく、数時間は短縮できるだろう。

ヴァルトロナンシュのライフベースを出発した。レースは5日目。17:40だった。

Oyaceはオヤスか、オイアスか。
Ollomontはオロモントかオッロモントか。

カタナカ表記は難しい。
赤枠の山岳区間がショートカットとなった。

ヴァルトロナンシュからしばらくは、緩い上りが続く。やがて、前のセクションのCol di Nanaで一緒となった日本人ランナーに追いつかれる。「せっかくなので、この先一緒に行きましょう」とお誘いし、共に進むことにする。改めてお互いに自己紹介する。辻本さんという方だった。山男の雰囲気がとてもある。

ライフベースから800mほど登った後に、最初のエイドBarmasse小屋に着く。

小屋で食事をしていると、日本人女性ランナーの伴さんもやってきた。「ライフベースであまり眠れなかったので小屋で寝て行く」とのことだった。伴さんは、何度も小屋で寝ていて、それでいて何度も追い付かれる。レースマネジメントが上手だなぁ、と感心する。

ライフベースを出発し、廃墟となった小屋を抜けていく。
随分昔に放棄された風情だった。
Barmasse小屋。
しっかりとした作りの小屋だった。
クールマイユールまであと90kmの標識。
とても元気づけられた。

Barmasse小屋を出発し、辻本さんと話しながら歩く。雪山、アイスクライミングを楽しみ、TJAR最終選考にも残った強者だった。

TJARの最終選考や雪山の話を伺いながら、先に進んだ。ソロも好きだが、人と話しながら歩くのも楽しい。

二人で安定したペースで歩く。最初の峠 (2,290m) は難なく超えた。しかし、2つ目の峠 (2,736m) に向かうにつれ、強烈な眠気が襲ってきた。辻本さんに話しかけても返事がない時が増えてきた。彼もかなり眠そうだ。

そして、どちらから始めたのだろう。いつしか二人でお互いに掛け声をかけ合いながら進んでいた。自分が「イッチ、ニー、イッチ、ニー」と叫べば、辻本さんが「ヘイヘイ」と合いの手を入れる。

なんだか、めちゃくちゃ楽しくなってきていた。眠さのあまり、ハイになっているのが分かった。でも、こんなのは蝋燭が消える前の最後の揺らめきであることは分かっていた。燃え尽きる前に2つ目の峠を越え、小屋へ急いだ。

21:05。小屋を出て最初の峠を通過。
まだ眠くなく、安定したペースで進むことができた。
Varetonエイド。
陽気な若い兄ちゃんがたくさんいるエイドだった。
23:22。2つ目の峠通過。かなりの眠気が襲っていた。

この時間は他のランナーも眠気に苦しんでいたのだろう。郷愁を誘う、民謡のようなリズムの歌をずっと口ずさんでいるランナーがいた。

下りでは、ある女性のランナーが我々の後ろに着いた。西アジアの民族音楽のような音楽が聞こえてくる。随分な大音量だ。

その西アジアのリズムと、下りのテンポが全く噛み合わない。トレイルを譲り、先に行ってもらおうとする。すると、彼女も一緒に止まる。「あれ、なんで止まるの?先に行ってよ」みたいなことを言ってくる。

でも、なんだか変だ。よく見ると、彼女はヘッドライトを消し、代わりにスマホに充電しながら音楽をかけていた。つまり、我々はライト代わりにされていただけだった。

首を振りながら、「どうぞお先に」とジェスチャーする。彼女は「なんで」という風情だったが、やがて走り始めた。とても軽やかな走りだった。そして、先行する民謡を口ずさむ男性にあっという間に追いつき、彼の後ろにピッタリと付いていた。

「ヨーロッパの民謡と西アジアの民族音楽のリズムは合うのだろうか」と心配になる。なんだかとても面白くなり、眠気も少し飛んでいった。

やがて、やっとMagia小屋に到着した。

小屋は満員だった。テーブルには、多くのランナーが突っ伏して眠っている。スタッフにベッドの状況を確認する。1時間待ちということだった。ここで眠らないとゾンビ化するのは分かっていたので、ベッドを予約する。伴さんも小屋に入ってきた。同じくベッドを予約していた。伴さんは、眠れる小屋すべてで眠っているんじゃないだろうか。

さいわい20分ほどで、ベッドに空きが出た。辻本さんも同時に案内される。ベッドに入って目を瞑ったと思ったら、起こされた。きっちり1時間経っていた。

食事をしていると辻本さん、伴さんも起きてくる。小屋を出て、ここからは3人で進む。

Magia小屋。セクション4のバルマ小屋のように、ここで眠ると決めていたランナーも多かったと思う。

辻本さん、伴さんと歩く。Magia小屋からは何層にも重なった峠を越えていく。この峠を越えれば、眺望が一気に変わりオヤスへの下りかと期待するが、その度に裏切られる。

先行するランナーのヘッドランプの、更に上にある星明かりが、小屋の灯に見え、随分上るなぁ、などとびっくりする。

いくつもの峠を越え、エイドで休憩し、オヤス前の最後の峠 Col Vessonaに6:57に着く。夜が明け始めていた。

眩しいほどの照明だったBiv. R. Clermont。
ここも満員だった。Biv.は何の略だろう。
小屋の外にはボックスが設置してあった。
ヘリコプターで運搬した、通信設備だろうか。
Col Vessonaへの最後の上り。
さすがセクション6、長かった。
 峠で記念撮影。
伴さんが一番元気そうだ。

3人の中で私のみがファーストウェーブ、つまり実質2時間遅れなので、Col Vessonaから私だけ先行して走る。しかし、オヤスのエイド手前数キロのところで辻本さんに颯爽と追い抜かれる。前日のセクション5でも感じたが、レース後半であれだけ軽やかに走れるなんて、素晴らしい筋持久力だ。

オヤスのエイドに入る。仮設ベッドが空いていたので、30分だけ眠ることにする。辻本さんも寝るところだった。起床後、食事をしていると伴さんも入ってきた。3人ペースが違うのに、結局最後には大体同じ感じの位置になるのが面白い。

オヤスからは厳しい山岳区間がショートカットとなっている。代替ルートである、緩やかなアップダウンを繰り返すトレイルを進んだ。ショートカットされた区間よりは楽だが、とにかく暑く乾燥しており、喉も痛くなる。やがて道はトレイルから林道となる。日差しに散々痛めつけられながら、オロモント ライフベースに着いた。

オヤス エイド。タイの女性ランナーもベッドで休んでいた。
専属サポートもいたので、エリートランナーだったのかもしれない。
オヤス エイドではミネストローネを選択。
パンを浸して食べながら、2杯食べる。
オロモント ライフベースへ。
写真は爽やかに見えるが、とにかく暑い。
オロモント ライフベース。ご飯は美味しかったが、仮眠スペースは大きな仮設テントの中であり、
暑く騒がしく、とにかく眠りにくかった。

オロモント到着は13:27。19時間47分の行程となった。山岳区間がショートカットされていなければ、間違いなく20時間を超えていただろう。

ファーストウェーブの選手の関門タイムは、インが17:00、アウトが19:00だ。ひとつ前のヴァルトロナンシュのライフベースと同じく、インの時間に出発することとする。最低、2時間の余裕が欲しかった。

ライフベースのルーティンワークをこなし、暑くうるさいライフベースの仮眠所で無理やり寝た。そして、オロモントを17:04に出発した。

いよいよここから先は、2019年では歩くことのできなかった、クールマイユールへの最後のセクションとなる。

(最終セクション オロモント〜クールマイユールへと続く)


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