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トルデジアン 2022 ③ レース編 (ヴァルグリザンシュ〜コーニュ)

ヴァルグリザンシュのライフベースを23:25に出発し、次のライフベース、コーニュを目指す。セクション2となる。

トルデジアンでは偶数セクション、つまりセクション 2、4、6がハードと言われている。実際、この3つのセクションはいずれも距離50km、獲得標高5,000m以上ある。その中でも、このセクション2は「わかりやすく」難易度が高い。

1,300mから1,800mのアップダウンを繰り返しながら、2,840m、3,002m、3,299mと徐々に標高を上げながら登っていく。毎回、きっちり下まで降ろされるのがきついセクションだ。

セクション2のエレベーション プロファイル
なだらかに見えるが、騙されてはいけない
縦1mmで200mは軽く登る

このセクションのAゴールでの設定タイムは17時間。不安を抱えつつも、23:25に出発した。最初のCol Fenetreまでは、ライフベースから1,303mアップ。そこから、1,209mダウンしてエイドに到着した。徐々に眠気が襲い、ペースが遅くなっているのが分かった。

1つめのコル
まずは標高2,840mまで

そして、エイドから標高3,002mのCol Entrelorへ1,345mアップ。登っている途中で朝を迎える。これで眠気が消えるはず。そう期待した。少なくとも日本の100マイルレースでは、朝を迎えれば眠気は和らいだ。しかし、眠気は強烈になるばかりだった。寝ながら歩く、よく言うゾンビ状態になってしまった。「まだ一晩越えただけなのに、どうしてしまったんだ、俺」と焦りが募る。

Col Entrelorへの上り
セクション2に入ると選手間の距離も開いていく
Col Entrelor
爽やかな2日目の朝、というよりは眠くて太陽が眩しい

Col Entrelorに辿り着くまでに、結構な数のランナーに抜かれた。峠からは絶景が拡がっていたが、それを楽しむこともできないくらい、疲れていた。まずは次のエイド Eaux Rousses に辿り着き、立て直そうと思った。

Eaux Roussesは幹線道路沿いにある。Chabod小屋やRifugio Vittorio Emanuele II小屋を大会前に訪れた際に、バスで降りた場所だ。

Eaux Roussesへのルート途中の私設エイド (小屋?)
初日より暑く、水切れを起こしそうだったので助かった

ここで帽子やBuffを濡らし、
身体を冷却しようとした

Eaux Roussesまでは1,547mの下りだ。目的地のイメージが湧くことにも助けられ、なんとか後続のランナーに抜かれない程度にペースを戻す。それにしても暑い。

Eaux Roussesではパスタをコーラで流し込み、ひたすらエネルギーを補給する。寝ることも考えたが、暑くガヤガヤして、とても眠れる環境ではない。

そのままCol Losonに向かった。セクション2、そしてレース全体の最高地点である。標高3,299mの峠だ。 しかし、もう身体が全く動かなかった。下りや平坦なところでは、なんとかパワーウォークのスピードを維持できる。しかし、上りになると強烈な眠気が襲った。初日のオーバーペースに脳が悲鳴をあげて、身体のブレーカーを強制的に落としているとしか思えなかった。

もうどうにもならなかった。幸いまだ森林限界に達していなかったので、暑いが木陰はある。木にもたれかかり、目を瞑って座った。抜いていくランナーが "Are you ok?" と声をかけてくれる。"Just too sleeply" などと適当に返事をした。

情けなかった。もし大会2日目でぶっ倒れているランナーを自分が見かけたら、「まだ序盤なのに大丈夫かな、この人」と心配したことだろう。

「とにかく次のライフベースに行こう」と思った。身体に疲れはまだなかった。ただ眠いだけだった。10分くらいだろうか、目を瞑って休んだおかげで、脳も休まった感覚もあった。

一人ではペースを維持できないので、グループでパックになって進んだ。ペースが合わなくなったら、次のグループに合流した。そうして進んでいると、日本の方にも追いつかれた。セクション1のLa Thuileエイドで会った常田さんだ。日本語で話しながら一緒に進む。常田さんは、ヴァルグリザンシュのライフベースでしっかり寝てから、セクション2に進んだとのこと。自分は寝ないで進んで睡眠負債を背負い、結局、追いつかれてしまった。「何やっているんだ」と自分にがっかりした。日本でしっかり考えたはずの計画が機能していないのは、明らかだった。

常田さんとは15分くらい一緒のグループで進んだだろうか。道端には、大きな岩に座り込み、肩を落として休んでいる人がいた。そうかと思えば、ラストスパートみたいな勢いでグループを抜いていく人もいた。次のセクションに進む資格があるか、トルデジアンにふるいに掛けられているようだった。

峠近くまで常田さんと一緒に進んだが、ペースについていくのが苦しくなり、グループから離れた。近くには、先程抜いていった人が苦しそうに呼吸をしながら立ち止まっていた。

巨大なカール
Col Losonはまだこの遥か奥だ
Col Losonへの最後の上り

写真では左に向かっているが、
そこから更に右にトラバースして、やっと峠だ

標高は3,000mを超え、斜度もキツくなり、息が苦しい
Col Loson
絶景が拡がるが、感動する余裕もなかった

Col Losonまでなんとか登り、Vittorio Sella 小屋までの急傾斜を下りる。脳が危険を察知し臨戦態勢となるのか、テクニカルな地形では眠気が和らいだ。

下りながら思っていた。「こんなの俺のトルデジアンじゃない」と。

日本のKOUMIや彩の国で通用した方法。

過去のレース結果を分析する。自分の走力に近いランナーの記録からセクション毎の想定タイムを割り出す。そして、試走を繰り返しながら、計画の精度を上げていく。

トルデジアンには通用しなかった。それとも、通用するほど計画を作り込めていなかったのか。自分の力量を見誤っていたのか。

そしてなにより、全然楽しくなかった。こんな状態で残り5セクションを終えるのは無理だと思った。やりたくもなかった。コーニュのライフベースで一回リセットして、やり直そうと思った。

Vittorio Sella小屋までは快調に下れた。やはり身体はまだ全然イケる。小屋に入ると、常田さんが休息していた。ここでどうやってリセットするか、考えていたことを提案してみた。

「よかったら、次のセクション、一緒に行動しませんか?」

常田さんはちょっと考えた様子だったが、「次は一番短いし行きましょう」と快諾してくれた。

「リセットしてやる〜〜」
と頭がテンパっていたので、
Vittorio Sella 小屋の写真を取り忘れてしまった。

しかし、この小屋は、2019年レース前に
泊まったこともある思い出深い小屋。

上の写真はその時のもの。
開けた所に建つ、居心地の良い小屋だった。

とはいえ、次のセクションに行く前に、まずはコーニュのライフベースにたどり着かなくてはならない。コーニュまでは、小屋から1,200mダウン。日本では「うへぇ」となるが、トルデジアンでは「ま、そんなもんだよね」と感覚が麻痺してくる。

コーニュへは19:15に到着した。ヴァルグリザンシュのスタートは前日23:25。19時間50分かかったことになる。設定タイムは17時間。2時間50分の遅れだったが、「3つのでかい峠であれだけペースが落ちた割には遅れなかったな」と安堵していた。

常田さんはコーニュでは5時間休憩したいとのこと。最初は長いかな、と思ったが、「リセットするんだろ」と思い返し、ゆっくり5時間休むことにした。

シャワーに入り、ご飯を食べ、仮設ベッドで3時間寝て、またご飯を食べた。起きたときには、意識がクリアになっていることが分かった。

「さあ、トルデジアンをやり直すぞ」と、セクション3が楽しみな気持ちとなっていた。

ライフベースでは、ナプキンがTORX謹製だった
2019年もこうだっただろうか、思い出せない

(セクション3 コーニュ〜ドンナスへと続く)

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