今、セルアニメから離れて
先日、川本プロダクションにお伺いする機会を得ました。数年ぶりの訪問でしたが、暖かく迎えてくださった事、本当にありがたく思います。
川本プロダクションは、人形作家川本喜八郎さんの作品制作会社。没後7年を経、若い人と話すと川本喜八郎さんを知らない人も多いのですが(涙)、アニメのアカデミー賞といわれるアニー賞において、アニメの進歩に貢献した人に送られる功労賞を受けた日本人6人の一人であり(他は手塚、宮崎、大友、高畑、押井。まだ大事な人が抜けとるなあ)、しかもその最初の受賞者であるということから、その高い評価が窺い知ることができると思います。
さて、私自身の話になりますが、私が中国史というか、三国志というものに始めて触れたのは、NHKの『人形劇 三国志』でした。
友人の勧めで観た回がちょうど赤壁の戦いの回で、炎の中、煌びやかな人形、特に傲慢な曹操の姿が今でも強烈に印象に残っています。まさか、それから人生の大部分を中国史研究に費やすとは思いもよりませんでしたが。
「人形には表情が無いので、所作で演技させる」と聞いてショックでした。だって、普通に感情を感じ取って見てたんですから!
一般に人形劇というと、どのようなイメージを持たれているのでしょうか?
私には、どうも「児童向け」か「アート性」という二つのイメージが強いように思われます。
ただ、人形劇もある意味で「アニメ」なんですよね。
人形劇やクレイアニメ、サンドアート、切り絵も「アニメ」。アニメという言葉の本来の意味である「生命を与える」という意味に照らせば、それらも全て「アニメ」です。
しかし、今の日本で「アニメ」といえば、セルアニメに一極集中してしまっている。その点で、一種異様ではあるんですよね。その中にいると違和感がないのですけど。
セルアニメ(富野監督や手塚治虫は「リミテッドアニメーション」という言葉を使ってますよね。フルアニメに対して)だけが突出して作品数を伸ばしたのには、日本独特と言ってもいいTVアニメの文化があるとは思います。
虫プロが『鉄腕アトム』を制作して以来、連綿とテレビで毎週放送されているアニメが量産され続けている。それが作品とスタッフの量と質を生み出していることは間違いない。
(ただ、手塚はディズニーを意識していたわけで、ディズニーがセルアニメを用いていたから、というのも淵源としてあるのですが)
対して、それ以外の「アニメ」は放送枠などを限定されてしまい、多くの人の目に触れる機会を失っている(川本喜八郎さんの経歴などから見ても、50年代から60年代にはテレビCM用の人形劇作品が多く作られているのですが、それ以降はセルアニメが勢いを増しているように思えます)。
アニメ評論家の藤津亮太さんから「NHKにはアニメを推す派と人形劇を推す派があって、どちらかの派閥が強くなると、制作本数が増える」というお話を伺ったことがあります。
確かに、NHKは古くは『ひょっこりひょうたん島』『プリンプリン物語』、勿論前述の『三国志』『平家物語』、そして『三銃士』『シャーロックホームズ』と、人形劇をプッシュする時期があるんですよね。
また『ニャッキ』みたいなクレイアニメをありますし、セルアニメ以外にも貪欲に挑戦している気風が感じられます。
『チロリン村とくるみの木』が1956年に放送開始以来。写真は『シャーロックホームズ』(2014年)。
しかし、NHKが力を入れるからこそ「児童向け」「アート性」というイメージが増幅しているかもしれません。
海外に目を向けてみれば、アカデミー賞のアニメーション部門を受賞しているのは実に多様です。その点で、世界の方が「アニメ」を広義に捉えている。それは、ジブリ作品がノミネートされた時に、他はどんな作品がノミネートされているのかを見るとよく分かる。実に表現方法は多様です。
フランスのアニメ制作会社レ・ザルマトゥールは『キリクと魔女』(1998年)など、意欲的に作品を生み出している。
『ウォレスとグルミット』シリーズを生み出したニック・パークを擁するアードマン・アニメーションズ(英)。四作中三作がアカデミー賞を受賞し、内一作は『ハウルの動く城』を抑えての受賞。
こう考えると、本来的な意味で「アニメ」を表現方法の一つと捉え、芸術性を具有させる見方と、セルアニメという枠内で表現を高めつつ、エンタメ性も強く持ったジャパニメーションという潮流に分けることもできます。乱暴ですけど。
(「アニメーション作家」の個性が強く出る短編アニメと、スタジオで制作される長編アニメやTVアニメでは勿論その方向性は異なるとは思います)
アカデミー賞や、アニー賞の受賞作品を見ると、昨今はCG作成が主流です。CG作成は、従来のセルアニメの手法だけでなく、人形劇などの方法論もその中には含まれていきます。
ここまでつらつらと書いてきましたが、改めて、川本プロに伺って感じたことは、今もなお、人形劇などで培われた技術は注目されるし、表現技法として活きていると思うのです。
むしろCGアニメが主流となりつつある今だからこそ、セルアニメ以外の技法も広く学ぶことは重要だし、今だからこそ必要とされているのではないか。
「アニメを見てアニメを作る」ことに対して警鐘を鳴らす先人は多いですが、「アニメ」を広く捉えれば、そこにはまだまだ学べる要素はある。発見されていない世界がある。
これからアニメ業界に進む人に、もっと広く「アニメ」を見てもらいたい、なんて、そこそこ古い時代を知っているオジサンから見て、そう思うのです。
私は『サンダーボルトファンタジー東離剣遊記』を知らない人に観せて、人形劇でここまで表現できる!と驚かすのが好きです(笑)。
最後に、川本喜八郎さんがチェコの人形作家トルンカさんの下で学んでいた時(五十年前!)の言葉を。
「(アニメーターはキャラクターを)人間に近づけるのではなくて、創造するのだ、というのです。……(中略)……丁度文楽がはじめは人間に近づけようとしたもののそれが出来ないというので、かえってムダな動きをはぶいて動きの本質に近づいた、という、そのことに似ています。創られるアクションは、人間の、たくさん無駄のあるアクションの真似ではなくて、必要で充分な、動きの本質だということです。だからすぐれたアニメーターによって創られたアクションは、人間の演じたものよりもっと純粋で本質的であるはずだ、ということです」
なぜアニメなのか、なぜ人が演じないのか、というテーマに対する一つの指標だと思います。