Gレコ補記「仕事しろ!」
さて、Gレコも終わって早いものでもう三週間。Gレコのない生活にも慣れたでしょうか?
私は再放送をMXとアニマックスの両方で見て追いかけているので、まだまだ現役です(笑)。
で、このタイミングで監督のお話が聞けるということで、先日、青山のNHKカルチャーセンターで開かれた監督の講座にお伺いしてきましたので、本日はその時のお話の中から、自分の注目したことを書きます。
書きたいから、書く!
私は最終回を、厳しいもの、と評しました。
つまり、オトナが残した遺産を背負わされながら、それでも前を向いて生きていかなければならない子供達、それを見せつけられた、と感じたからです。
監督は講座の、科学技術についてのお話の中で、そのことを述べられていました。
昨年三月の、日本橋でのトークでも、監督は「『道具によって劣化する』人間の生活能力に対する危惧、言い換えれば『リアリズムを忘れてしまった』人間への不安を述べて」います。(以上、私の昨年三月の記事より)
それは、道具としてはフォトンバッテリーやキャピタルタワーであり、更に人に置き換えて考えれば、そういうシステムを受容してきたオトナたちと、それを弄んだ軍人だちです。
私は、軍人がリアルな戦場を知らないまま突入していった姿を、Gレコの中に感じました。
監督は、「プロの軍人が政治家面をしている」「純然たる軍人ではなくなった」という言葉を使われていました。つまり、軍人が本来政治家が考えるべきことまで考えて戦争をやっている、と。
私はその時、頭にプロイセンのモルトケが浮かんでいました。ドイツ参謀本部。
モルトケはドイツ参謀本部総長として、普墺戦争・普仏戦争を指揮・勝利へと導き、ドイツ統一に多大な貢献をした人物として知られています。
ただ、私が彼のことを思ったのは、彼自身は「純然たる軍人」を貫こうとしていたのに、彼の才覚と、クラウゼヴィッツ以来のドイツ参謀の思考方法は、彼を一軍人から逸脱させてしまった、そんな人物だったからです。
つまり、戦略というもの、ただ相手を完膚なきまでに叩きのめして二度と立ち上がり牙をむくことができないようにするためには、政治の分野にまで軍人は口出ししなければならないことがある、ということです。
モルトケは普仏戦争の際、フランスを撃滅するというただ一つの目標のためにその思考を回転させました。その結果、パリを占領し、フランス政府を降伏させるための綿密なプランを作り上げ、それを着実に遂行しました。
途中、皇帝ナポレオン三世が捕虜になるという幸運があってもそれは変わりませんでした。そして、フランスを生かさず殺さず、戦争の後のことも考えれば残しておいたほうがいいと考える宰相ビスマルクと衝突することになった。
その後、モルトケとその後を継いだ参謀たちは、帷幄上奏権という特権(議会その他を通さず、直接皇帝に意見を提案することができる)を用い、プロイセン、つまりドイツという国を政治家のものから、軍人主導の国へと変化させていった。
その考え方は、プロイセンから軍事を学んだ日本にも受け継がれ、「統帥権」問題へとも繋がっていく。
軍人は、「軍人」を逸脱していく。
長々と書いてしまいましたが、本来は軍人が軍人としての領分を逸脱してでもしなければならない、という状況になったのは、己の「仕事」に忠実だったから、と言えると思うのです。
ただ、それは一度足を踏み出してしまうと、際限ない逸脱へと繋がっていく。そしてそれが民主国家であれば、民衆=有権者の支持によってのみ存在できる政治家と容易に結託してしまう。
監督は言われました。アメリカが原爆を落としたのはなぜか。B29が空襲に来たのはなぜか。全てアメリカ国民の支持を維持したい政治家のしたことだ。「これは軍人の発想ではない」。
そして有権者の支持を得たい政治家と、自身の能力をひけらかしたい、そして軍事力という「おもちゃを与えられてはしゃいでいる」軍人たちが結びついたとき、そこに大量殺戮が生まれるのだ、と。
あ、忘れないうちに書いておこう。監督は戦争責任を軍人たちにおしつけているのはおかしい、とお話しされてまいたね。それを容認した政治家と、それを支持した国民に席にがあるともお話しされていました。閑話休題。
軍人とは「専門家」です。専門家は「一本の道、進歩することしか考えていない」。
専門家をただ容認し続けていたら、おそらくその先にはカタストロフがあるでしょう。ドイツは滅び、原爆は残された。
勿論、それは専門家に罪があるわけではないのです。それは彼らが自身の「仕事」に忠実だっただけなのですから。
ここで、改めて昨年三月の監督の言葉を出したいと思います。
「何故なら今のアニメは、アニメ専門学校出の『専門職』としてのアニメーター、『異能の集団』ではなくなったアニメーターたちの生みだすものであり、『アニメってああいうもの』になってしまった、と。 そしてそれは現場の人間として意識しなくてはならないことだが、今の収入が大事である現場としてはそれを考えるのは難しい、と。」(前記と出典同じ)
この文章内の言葉を置き換えれば、監督の述べられていることは、前世紀の戦争のことでもあり、同時に今のアニメ業界のことでもあるということが、解るのです。
軍人が、政治家や国民感情のために戦略を考えるようになっていることと、良い「作品」を作ろう、という考えはなく、目先の収益に汲々とせざるを得ないアニメーター。
そして、その状況はアニメ業界だけでなく、日本社会でも確実に蔓延している。
「『技術』とそれを受け入れている社会の抱える様々な問題。それを解決することを背負わされている未来の世代に対して、遺すもの。」(出典、同じ)
監督は、一年前、そう仰っていました。それを形をアニメに置き換えて示してくれたのがGレコでした。
つまり、子供達に課題を示しているのです。だから厳しい。安易なアンサーを許さない。
「ユートピアニズムに陥った大人たちはリアリズムの欺瞞性を持ち込むので疑問をあげておいた。それを子供達に任せる。」(今回の講演より。制作にあたってのメモから、らしい)
監督用語でいえば、そういうことです(笑)。
だから、明るい話だけど、厳しいのです。
では、一人一人ができることはなんなのか。
一つは教えてくれました。「仕事をすること」だそうです。
「仕事」をしていると衰えない。欝にならない。元気になる。
そして、その「仕事」とは天職であり、手に職を持つことであり、「自分はこれしかできない」ということをポジティブに考えること。「一生続けられる仕事を持つということは幸せなことなんです」。
73歳にして、なおもテレビシリーズの全脚本と絵コンテやられた人に言われると、グウのネも出ません。
「仕事」をしつつ、自分の「考え」について内省的に見つめ直していく作業を怠らない。
人が生きていくために、極めてありきたりなことなですけどね。それを改めて教えていただきました。
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