見出し画像

彷徨え!深夜潜水隊

地の果てでは、憂鬱だって無味無臭だ

(2024.3.6)

ここ最近、仕事でも私生活でも否応がなく普段の8倍くらい多くの人間と関わらなければならず、人生でも類を見ないほどかなり疲弊している。一旦落ち着いたんだが次のフェーズに向けた仕事が山ほど舞い込んできていて、まァ大変よ。

仕事のことでここに書けるようなことはほぼないので申し訳ないが想像してもらうしかないのだが、「各々の都合を一応全部聞きつつ、こちらの要求を柔らかくかつ確実に伝える」「来るべきものに備えるため一日中めっちゃ仕事する」ということを、この数週間やり続けているため、「じゃあ俺の都合は誰が聞いてくれるんだよ?」と一人怒っている。忙しさに心が置いていかれている。

ええ、かつてはこんな記事も書いたけど、

(なぜか未だに数ヶ月に1,2回いいねが来る)

これでは対応しきらんほどに今の自分は疲れ切っている。

なんとか全ての仕事は期日内に(むしろなぜか部署内で一番速く)終わらせているが、その分反動がどっと押し寄せる。その波を特に抵抗もせず受け入れーーないしは飲み込まれーー凪になったと思ったら疲弊という深海へ放り出される。かえってそれが心地良かったりする。暗い自分も良しとする。疲れていることを受け入れる。

時と場合によっては、落ち込んだり沈んだり暗い気持ちになったら、とことんなるのも悪くない、ということだ。以下に書くが、真似するのはお控えください。

そうは言っても、何も反社会的なことも自傷的なこともするわけではない。ただディープに夜更かしするだけだ、それも外で。つまり深夜ドライブだ。

3月とは???(中旬)


ごめんなさい、こんな時期に深夜ドライブするもんでなかった。かっこつけて深夜潜水隊とか書いたけど。今年の北海道の3月は実質1月です。全然雪が降り終わらないの。3月前半の土日で20〜30cmくらい積もったんだよね。つまりスネくらいまでは埋まるレベルです。えっと?????

ところで深夜ドライブ、最近で3〜4回行ってます。この記事を書いている内に大きな通りの雪はかなり溶け、走りやすくはなってきた。だがまだ雪も多めの3月前半のド平日、石狩は厚田(あつた)という地区まで行って帰ってきた。札幌から石狩方面に走らせて初めて道の駅があるところ、厚田。

札幌からだと1時間

あのねぇ当たりめぇだけど北に行くほど雪は降るしさみぃのよ。札幌はこの時、路面出てたんだけど、石狩に入ったら少しずつ雪道になっていった挙句吹雪いてきたからね。死を覚悟したよ、本当に。真夜中・一人・夜道雪道を運転だからね。誰だよ暗くなるのも良いみたいに言ったやつ。危ないからダメ!

危ないってかい! すったらもん誰だって分かるべガキでねんだから! おお?

北海道×秋田のクォーターなもんで

(危ないと言いましたか? そんなことは誰だって分かるでしょう子どもではないのだから。そうは思いませんか?)

すみません育ちが悪いもので方言まみれになりました急に。

人っこ一人いないと思ったら
他に一台いて若干萎える(何に


秋田混じりの北海道弁を捲し立てて()いたら、厚田の道の駅に着いた。1階が厚田名産の土産売り場やトイレ、2,3階はジェラート屋や歴史展示、展望台となっていて、夏季の日中はそこそこ人がいる。が、深夜1時を回っていて、しかも冬に人がいることはない。夏場なら車中泊してる車は多いのだが。写真の通りもう一台だけ駐車場におり、地の果てまで行ってしまえと思っていた自分は少し拍子抜けした。果てじゃないじゃん。

眠くもなってきていたのでコーヒーやミントガムを摂取しつつ音楽を爆音でかけて帰路に着くことにした。厚田から札幌は前述の通り割と距離がある。小さな峠の間のトンネルをくぐり、廃校の横をすり抜け、海を右手にまた小峠を越える。越えた後は結構な間走り続けるのだが、何故か今回はすごく速く札幌に戻って来た

音楽は全部しっかり聴いていたし、もちろん運転しながら寝てもいない。僕はすごく驚いて、まるでワープしたような錯覚に陥った。

どんな場所も帰り道は速く感じるものだ。でもそれを踏まえてもやたらすぐ着いた気がした。化かされたか、ワープしたか、それか自分の車が意外とスピードに乗っていたかーー雪道だからそんなことなさそうだけどーーまぁいいんだけどサ。

そんなこんなでなんとか札幌に戻り自宅へと帰った。へとへとだった。走りすぎた。平日なのに。

でもなんか一人で自分に向き合う時間になってよかった。気持ちは想定より沈みすぎたけどそれも車で走り考えを整理し、また我が家が近づいてくることで安心感を取り戻した。

自分という名の深海に潜って潜ってひたすら暗い気持ちになると、何故だか心がすごく平坦になる。底にたどり着いてそれ以上潜れないからだろうか。それは落ち着きとも言えるし、遠い国のテレビを視聴しているときのような感情の起伏のなさでもある。そこから(厚田という果てから)帰って来て街の明かりを目にすると、家族とか親友の顔が浮かぶ。皆にそれぞれに、それぞれの地獄があって、それを共有したりバカにしたり、受け入れたり値踏みしたりしながら結局身を寄せ合って生きている。僕らは結局一人にはなれない。少なくとも僕は。

地の果てなんかに来たら友人が恋しくなる。ここで死ぬわけにはいかないと思う。帰る場所があるから結局深夜徘徊ができる。帰りたいよ、いつだって。でもたまにまた深夜潜水をさせてほしい。それで自分の形が同定されるような気がするから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?