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全国大会請負人の指導とは(昨日の続き)

さて、昨日の記事( 全国大会請負人・中学時代の顧問の先生① )では、行く先々の弱小の中学校を全国大会に連れて行く中学時代のサッカー部の顧問の先生の紹介、そして僕がサッカーを好きになった根底の話を書いたが、今日はその先生の指導がどんなものであったかを書いていきたいと思う。

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【チーム戦術よりも個人戦術を重視】

人気サッカー漫画「アオアシ」でも出てきたことのある言葉、チーム戦術個人戦術という言葉ご存知だろうか?
ざっくりとだが、僕の定義の中では下記の様な内容である。

チーム戦術はチームで連携をして行う戦術のことだ。具体例としてはチーム内に突破力・得点力のあるウィングが右サイドにいるからチームとしてできるだけボールを右サイドから運ぼうとか、相手のオフェンスを限定させる&オフサイドとりやすくするためにディフェンスラインを統率してラインを高くしようとか、こういったものがチーム戦術です。

個人戦術は個人の判断と技術のことだ。特に判断におけることが多いです。例えばチームのルールとして相手FWのマンマークを任されていたCBの選手が、スルーパスで相手MFが抜け出してきて失点の危機だったので相手FWを置いて抜け出してきた相手MFの方にタックルを仕掛けにいくといった判断のことだ。

個人戦術重視だったのはおそらく育成年代であることから個々の選手の成長を意識していたのではないかと思う。先生から意図を聞いたことはないので、おそらくといったところだが。。

では、個人戦術重視の練習はどんなものだったのか。いろいろやったが根幹はクーバー・コーチングだったと思う。

クーバーコーチングとは下記の様な内容である。

1970年後半、オランダ人指導者ウィール・クーバーが、革命的なサッカーの指導法を開発しました。もともと彼は、当時のプロの試合から見えてくる、技術の欠落したプレースタイルに満足していませんでした。ファンを魅了するには、テクニックを生かしたサッカーが確立されなければならないと考え、その為に個人技術を磨く指導に至りました。

当時のクーバーの指導は、ボールマスタリーや1v1テクニックの指導をメインに行うもので、スタンレー・マシューズやヨハン・クライフ、ペレのようないつになっても色あせない、優れた動きをする選手のプレーを見習うように選手達に促すものでした。

※クーバー・コーチング・ジャパン オフィシャルサイト「クーバー・コーチングとは」より引用( https://www.coerver.co.jp/about/ )

上の引用文を見るとテクニックをひたすら磨いたんだ!といった様にも思えるが、クーバーコーチング以外にも李国秀さん(桐蔭学園サッカー部、1999年-2000年のヴェルディ川崎の元監督)リトマレン全盛期のオランダの強豪クラブ アヤックスなどのメソッドを取り入れ先生流にミックスされた指導だった。

実際にやっていた内容としては下記の感じで一見シンプルではある。

・クーバーコーチングや李国秀さんのビデオを何度もみる
・1vs1・ロンド(オフェンス3or4:ディフェンス1or2の鳥かご)
・5vs5ミニゲーム
・クロスからのボレーやヘディング

などの反復練習(あくまで上記は多くやっていたものを抜粋)

シンプルと書いたものの1vs1にしてもバリエーションは豊富で、試合での様々な場面を想定してやっていたと思う。(あまり頭が良くなかったせいか場面想定に気付いたのは高校生になってからだったが。笑)

そして、ここからが先生の指導の見せ所。
何度も何度も徹底的に仕込むのだ。ビデオを何回も見て、考え・理論を完全に理解している先生は内容が完璧に頭に入っており、練習を止めてでも言葉にして教えてくれた。

基本的なテクニック(止めて蹴る)はもちろん、体の向き、視野のとり方、ステップの踏み方、場面毎の優先順位など、本当に細かい指導があった。
今思うとあれだけ時間と労力をかけてくれていたのに、なぜ僕は下手なんだろうと自分の理解力と体現能力のなさに嘆く物がある。笑。

そんな先生の口酸っぱい指導の甲斐もあり、同級生の中にはメキメキと上達していった猛者もいた。
小学校の頃に入っていなかった県トレセン(県選抜)に選ばれてサッカーの強豪高校に進学していった。その後彼は冬の高校サッカー選手権でベスト4まで行き国立のピッチも踏んでいる。

個人戦術もとい、個人を伸ばす先生の指導があったからこその賜物だったんだろうと今となっては思う。

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【常識にとらわれない不思議な練習メニュー】

これは派手なプレイをするとかそういうことではない。(体育館マットみたいなのを引っ張り出してオーバーヘッドキックの練習もレクリエーション的にやっていたが。笑)

当時としては本当に常識にとらわれない物事をサッカーの練習に取り入れていた。例としては下記の内容である。

・一本下駄を履いてサッカー(リフティングとか5vs5ミニゲーム)

・落下地点を理解するための野球のフライキャッチ→ヘディングにつながる(これも一本下駄でやっていた事がある。わざわざ野球部からピッチングマシンを借りたりしていた。)

・古武術を使った走り方や飛び方の練習(当時有名になり始めた桐朋高校バスケ部の古武術バスケットボールから。なんば走りなどが有名。)

今でこそ浦和レッズの槙野選手や昨年の春の甲子園に出ていた大分高校野球部が一本下駄を練習に取り入れたりしてはいるが、これは2002年〜2004年の話である。

体育教師であった先生は様々なスポーツや様々な物事の良いところ、使えるところは全て取り入れていこうというスタンスだったのだ。

ちなみに個人的に一本下駄での練習はお勧めする。
正しくやればバランス力・体幹を鍛えるのには役立つだろう。しかし、間違った履き方、力の入れ方をすると外重心になってしまい逆に怪我をしやすくなってしまったりするので注意が必要だ。(僕がどちらかというと外重心で当時困っていた。)

正しい履き方がわかるのは一本足の削れ方。
下の画像の左足を見て欲しいのだが、外側(小指側)が先に削れていくのは要注意だ。外重心になっているサインと言える。
逆に内側(親指側)から削れていくのは正しい履き方ができているのだが、極端に削れすぎていると内側に重心がかかりすぎてしまうのでこちらも少し注意が必要だ。
理想は滑らかに内側(親指側)から削れていく事だ。

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あと、鼻緒が擦れて靴ずれの様な状態にもなったりするので、自分の足に合う一本下駄をちゃんと履くのをお勧めする。

こんな事を書ける様になったのも、先生が中学校の頃に一本下駄を履かせてくれたからだろう。笑

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【最後に】

弱小の中学校を全国大会に連れて行く名将顧問の指導の話、いかがでしたでしょうか?

僕自身がそんなにサッカーが上手い訳でもないのだが、先に書いた通り同級生がバリバリ上手くなっていった様を間近で見てたし、僕も大人になりやっと何のためにあの練習があったのかを理解・整理できたというところだ。

そんな懐かしく工夫を凝らしてくれていた先生の指導方法を少しでも他の方に見て参考にしてもらえたらと思い書いた次第だ。

教員免許を持っていないし、コーチライセンスも持っていないのだが、この記事を書くうちに、いつか僕も先生のメソッドを基に子供たちを指導してみたいなと考えたりしてしまうものだ。

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