その先は自分で決めるだけ。
出来て当たり前の所から先がやるべき事。
ハッ!とさせられたではなくて、そうなんだよなぁって。
出来て当たり前のその先。やそこからがやらなくてはいけない事。何だよなぁ。っていつも考えていた言葉にできなかった事を言葉にしてくれた、X JAPANの YOSHIKIさんがスッキリのオーディションで言っていました。
ありがとうございます。
スポーツしていますが、初めての方って出来ない。というよりも、やった事ない事をやっていくわけで予想なんて出来なくて、打ち破れたり、目標へ到達できなかったり、さらには継続出来なかったり。
1番辛いのは、目的が定まってない事で目標もない事。それでいて向上と継続はきつくて嫌になるし。
だけど、目標決まったらその場所に行くにはどうするか?そこで目標達成するにはどうするか?を考えたり逆算したり、必要な力を調べたり。。。
そういうのがわかれば、「当たり前に出来るレベル。」って言うその先にあるわけで。
例えば、フルマラソンで完走目指して。と言うのは、おそらく出来る人は多い。
だけど、サブスリーでしたけっけ?3時間台とか3時間切るとか目指した時に「当たり前に出来る」のレベルが完走レベルの内容だったら。
そして、それに満足していたら?いつ、サブスリーとかに届くのか?って事。
だから、完走レベルが例えば週三の30分のランニングを半年続けたら出来る。と言うのが自身内容だとして、それが限界ならサブスリーなんておそらくできないかも。
だけど、これになれて当たり前になって週4にしたり、30分を1時間にしたり、1キロペースを上げたり、筋トレしたり。。。
完走という当たり前になった事の先が始まるわけで、目指すのがさらに自分なりに上なら「出来て当たり前の事」のレベルを上げていかなくてはいけなくて、そしてそこから始まるその先が必要なわけで。
この当たり前っていうのは、基礎であり基本であり、そこのレベルの向上であってその力が上がればその先ってもっと上がるわけなんですよね。
簡単にできる事であれば良いけど。それで満足して自己の中で新しい何かが生まれたり、達成感もあるのならそれはそれですごく良い事だから素晴らしいし、評価して良い事。
それだけが正義ではなくて、自分はどこを目指しているの?っていうのも大切で、そういうのが悪でもない。
どちらも、自分で決めた目標や目的へなくてはなるない。
自分自身の中に正義があって必ずしもトップじゃなきゃダメ!でもなくて
自分ではどの場所を、どういう自分を目指してる?とうのが大切。
この時に、もう達成した。も良い。このまま。でも良い。
少し上のあの場所へ、世界へ。
こうなったら、少なからず今の自分より上だから「当たり前に出来る事」の先が始まる。
そこからは、また試練。試練。試練。少し成功。また試練。と辛い事ばかりかもしれない。
だけど、これが出来ないとその先へ。って続かなければやらなくてはいけなくて。出来ないといけなくて、、、
そして、いつしかそれが当たり前になったりする。
誰もが必ずしも出来るわけなんてない。
けど、「その先、、、」って経験は誰でも出来るわけで、あとはやるかやらないかでそこ体験や経験はとっても貴重なんです。
向上心だけが正義じゃない。
自分のかにあるモノに気がつけば良い。
当たり前に出来るその先。