「技巧」#2/5の日記
本を読んだ。
昨日買った本を読んだ。「君のクイズ」という作品。
買った理由は単純で、「本屋大賞ノミネート」と帯にあったから。
自分は本屋大賞を受賞した作品が好きだ。
○○賞と言われるような他の賞と違って、何につけても読みやすい作品が来る傾向があるから。小難しいプロでなく、「本好きの素人」である書店員が選ぶからだと思っている。
表現とか文化とかそんなのよりも、「読みやすくて面白いか」が何より審査基準になっているんだろう。
別に本を日常的に読むわけではない自分には、何より大事なのは読みやすさだ。次に面白さ。
だから、本屋大賞の本は自分にとってとても相性がいい。案の定、君のクイズもとても読みやすかった。
感想。ネタバレはしないよ。
総評として、「そこそこ面白かった」という感想。
でもまあ、うーん。。良い本に出逢ったな…って思いはないかも。
そこそこ面白い読み切り漫画読んだときと同じくらいの感じ。
淡々とストーリーが進むので、衝撃がスゴいわけでもなかったからかな。一方で、読みやすく、かつ感情移入しやすく展開される文体はとても好きだった。
あと、この作品のテーマである「競技クイズ」について知れて良かった。
クイズに限らず「競技性」が出てくると何事もその道のプロにしかわからない技巧が生まれる。
その技巧は、素人には詳細まで決して分からないけれど、なんとなく「スゴい」ということは伝わる。
「回答ボタンを押すタイミング」は、極めて高度な技術が詰め込まれているが、素人には何が高度かは分からない。でも、違った形で「スゴい」ことは伝わる。「早すぎる」「そこで分かるの?」といったように。
もちろん、高度な技術を使っている側には不本意な形で伝わることもあるが、それは仕方ない。いずれにせよ、その高度さは、なんとなくでも必ず熱量として伝わる。
自分の経験でいうと、舞台美術の塗装がそう。
こだわりにこだわった部分は、やっぱり「あそこスゴいね」と言われるのだ。
何がスゴいかは見ている側には全くわからないが、それでも「スゴい」ことは分かる。
まあ、自分の舞台は素人舞台の大会だが。それでも、他より熱量をかければ、伝わることもあるのだ。
社会は「高度な技巧」で作られている。
世の中の全てにプロがいて、それぞれの「なんとなくスゴい」ように思える極めて高度な技術が世界を構成している。
クイズでも、舞台でも、今書いているスマホでも、今寝ている布団でも。
スゴいな、と思う一方で、恐ろしい、とも思う。
世に居る全員の熱量に、無意識にも触れながら生きている。重すぎる。プレッシャーがすごい。
自分にもきっと、無意識で本気になり、他人からは高度だと思われる何かを持っているんだろうな。
いや、それがなにかは知らんけど。
そして、それを「恐ろしい」と感じ、「やったぁ!」と思える人間でないところが自分って暗いな、と思う。
まあ別にだから何というわけでもない。
眠いのでやれやれ系みたいな文体になってしまった。平成キモ・オタクだからかな…。
「やれやれ」「え?なんだって?」が沢山出てくる小説、今読んだら恥ずかしくて居たたまれないんだろうな。
と、いってもその手の小説とかアニメ、友達に合わせて見てた3作品くらいしか知らないけど。
なんの話だ。おやすみなさい。