会社員4年+フリーランス5年のエンジニア人生を振り返る
本記事は「エンジニアと人生 Advent Calendar 2020」 13日目の代打の記事になります。
昨日の記事は、てりーさんの2020年の振り返りでした。
13日目の自分の記事は、せっかくの機会なので今までの自分のエンジニア人生を振り返っていきたいと思います。
エンジニアとして本格的に活動を開始したのは22歳の会社員になった頃で、
今は30歳なので、約9年間の振り返りになります。
というエンジニア向けに、紆余曲折して痛い目見ながらも、つよつよを目指している自分の人生を一例としてお伝えできればと思います!
※ 9年分なので長いです。目次作ったので興味ある所だけでもお読みください
会社員時代
新卒は社員が数百名いる、割と大きめなWebの事業会社に就職しました。
1年間研修のある珍しい会社で、営業→インフラ→Web開発→コールセンターの部署を回りました。
コールセンターは地方に出張したのですが、
「人生、色んな人がいるんだなぁ」と衝撃を受けまくる日々でしたね。
1年目:インフラエンジニアとしての格闘の日々(2012年)
最初に配属されたエンジニアの部署がインフラチームだったので、環境構築の練習ばかりしていました。
社内サーバーへのGitlab (nginx+unicorn)・Redmineの導入や今は無くなってしまいましたが、新しいPaasサービスへの機能を開発したり。
「MySQLって何?」
「nginxって何?」
「CentOSって何?」
みたいな状態で何もわからず、先輩に何を聞いたらいいかもよくわからず、
苦しみながらひたすら黒い画面と格闘していました。
プログラミングはほとんど出来ませんでしたが、Webを支える技術についてはこの期間に全体像を学ぶことができたので、良い経験でした。
2年目:CakePHPエンジニアとしてデビュー(2013年)
2年目になってWebアプリ開発の事業部に本配属されて、初めて一般の人に使ってもらえるシステムを作りました。
イベント展示用の診断アプリだったのですが、CakePHPをバックエンドにJQueryとAjaxで通信して結果をチャートで表示するような内容でした。
この頃には先輩に質問すれば、何とか1人で開発できる状態になっていて、
自分が作ったシステムに「いいね!」と言ってもらえると、
めちゃ嬉しいという開発者の喜びが感じられるようになってきました。
3年目:突如、ベトナムでリードエンジニアになる(2014年)
2014年はベトナムのオフショア開発が注目され始めた時期で、その頃、自分は所属部署の仕事でグループ会社に出向していました。
今振り返ると、事業会社の社員なのにSESみたいな仕事ですね。
そのグループ会社はバリバリの営業系だったので、慢性的なエンジニア不足を抱えていました。
そこでベトナムエンジニアに活路を開こう!ということで、その頃独身で一番フットワークが軽かった自分 (24歳) に白羽の矢が立ちました。
ベトナムのパートナー企業のオフィスを借りてラボ型開発を行うため、自分が1年間ベトナムに出張することに。
「海外で働いてみたかった!やった!」
という気持ちで即答でOKしたのですが、想像以上に大変でしたね。
先輩がいなくても1人で何とか開発できるレベルになったばかりで、
いきなりリードエンジニアをやることになり、日本側とはリモートワークで、しかも相手はベトナム人。
ベトナム側のブリッジSEが通訳をしてくれるのですが、日本人だったら、いい感じでやってくれる所も言語化しないと全く伝わらない。。
一人残業して手直ししながら、何とかリリースまで漕ぎ着けていったのは、いい思い出です。
※ ベトナム時代は色々あったので別途何かの機会でまとめたいと思います
4年目:ベトナムで結婚、SPAリプレースへ(2015年)
この年にベトナムで国際結婚したのですが、直接の知り合い以外の人もガンガン招待する文化で、300人出席する結婚式は圧巻でしたね。
またシステムはリリースしたもののCakePHPのパフォーマンスの悪さがネックだったため、Angular+Node.jsのSPAへリプレースすることに。
ベトナムでは自分は採用活動もしていて、その時に採用したベトナム人エンジニアと一緒に日本でリプレースプロジェクトを進めることになりました。
日本人の唯一のメインエンジニアだったので、かなり頼りにされていて、色々な知識を吸収できた年だったと思います。
情報発信もこの頃、かなり積極的にやっていましたね。
フリーランス時代
1年目: スモールB to Cと美容系スタートアップ (2016年)
フリーランスになりたての時は前職の繋がりで単発の仕事を紹介していただいたりしていました。Webサイトフォームのツール連携の案件でしたね。
後はWantedlyで募集していたスモールB to Cのスタートアップの経営陣の方と、繋がりがあったので、そこからのご縁で週3常駐でお仕事させて頂きました。
またその頃TimeTicketでプログラミングのチケットを販売していて、購入者の美容系スタートアップの方とも残りの週2、半リモートで一緒にプロジェクトを進めていました。
初めて1からWebメディアを作る経験ができたのは、大きかったですね。
2年目: 教育系と人事系スタートアップ (2017年)
この頃はYentaで知り合った教育系スタートアップの社長経由で、直接週3常駐でRailsのお仕事を頂きました。
あと、知り合いの紹介で人事系スタートアップの立ち上げ期の開発に週2-3リモートで参画しました。
こちらはAPIがGolang、フロントがReactでDDDも導入していて、ドメイン的にも難易度が高かったのでキャッチアップをかなり頑張っていましたね。
3年目: スタートアップ5社に参画、少し疲弊 (2018年)
この年は超短期でしたが、同時にリモートで3-4社稼働している時があり、非常に忙しかったです。
売上は過去最高になりましたが、思考のスイッチングコストがかかりすぎて、もうやりたくはないですね。。
エンジニアとしての稼働の場合は、自分は多くても同時は2社までが合っているなと思いました。
技術的には今までよく参加していた勉強会のツテでReact Nativeの常駐案件や副業のリモート案件を頂くことが出来ました。
後は知り合いの紹介でRailsのリモート案件にも参画していました。
4年目: 人材系とエンタメ系スタートアップに参画、
ショップ運営にチャレンジ (2019年)
この年はRailsエンジニアとして常駐とリモート案件に参画しながら、
別事業としてECショップの運営にチャレンジしていました。
かなり頑張ってやっていて一時期は結構売上を出すことも出来たんですが、
色々とあって閉鎖することに。なかなかアグレッシブな経験ができました。
※ この辺もいずれ機会があればまとめたいと思います。
5年目:人材系とフィットネス系スタートアップに参画、
技術力×ファイナンス力×発信力を頑張る (2020年)
EC事業から撤退して改めて「自分はどうなりたいのか?」をめっちゃ考える年でした。
いろんな本を読んで方向性を模索していたのですが、ザ・ビジョン 進むべき道は見えているか はとても良かったですね。
この本で学んだ以下のビジョンの構成要素は今でも、
付箋で壁に貼っていて辛くなった時の人生の指針になっています。
ビジョンに向かって行動しつつ発信していく中で、理想を叶えるためには、
「技術力×ファイナンス力 (お金のスキル) × 発信力」
を伸ばしていこうという結論に至ったのですが、
そんな時に技術力をベースに人生を謳歌する「エンジニアと人生コミュニティ」と出会えたのは、とても幸運でした。
【来年の目標】: フロントエンドとアプリ開発のプロになる
技術力×ファイナンス力×発信力を更に頑張る (2021年)
■ 技術力
最近はバックエンド寄りの仕事が多かったので、来年はフロントエンドとアプリ開発のスキルを伸ばしていきます。
またデザインとインフラも勉強してフルスタックなスキルを磨いていきたいですね。
■ ファイナンス力
可能な節税と固定費削減の施策には全て取り組みます。専門雑誌や本を読みながら絶賛勉強中なので、これからプラスで目標立てていきます。
■ 発信力
こちらは年末までに他のコミュニティメンバーの方を参考に、来年の目標値を決めていこうと思います。
以上になります。ここまでお読み頂きありがとうございました!
明日の記事はfreddiさんです。楽しみ!
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