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仏教に学ぶ生き方、考え方「遊ぶということ」
子どもも大人も「遊ぶ」ということは楽しいものです。
でも遊ぶと聞くと、どこか勉強や仕事を「サボっている」という気持ちも出てきて、なかなか「心から」遊べないものです。
でもはたして遊ぶということはそんなに「悪い」ものなのでしょうか?
また仏教的には遊びを「どう」捉えるのでしょう?
遊びに関する仏教の逸話で有名なものといえば、お釈迦様の「四門出遊」(しもんしゅつゆう)があります。
若きお釈迦様は大変「ナイーブ」な性格だったので、城の中に「引きこもって」おりました。
それを心配して城の「四方の門」から遊びに連れ出されたのです。
息抜きしながら、外の世界を楽しむはずが、そこで「老人、病人、死人、修行僧」をご覧になったお釈迦様は人生の問題を解決するため出家を決意されます。
仏教を説かれる最初の「きっかけ」になる出来事だったと言えるでしょう。
また「遊行」(ゆぎょう)という言葉もあります。
これは修行僧が全国を「行脚」して布教を行うこととされておりますが、もともとはインドの人が歳を取ると山に入って「修行しながら自由に過ごす」ことを指しているとも言われています。
もともと遊ぶということは、「自由」に道を求めゆくというニュアンスもあるそうで、仏教との相性もいいわけです。
そう考えると遊ぶことは悪いことではなく、開放された「心持ち」を表しているとも言えます。
ゴールデンウィーク後半、お休みの方も、そうでないからも心のなかに「遊び」の部分を忘れずにいてほしいものだと思います。
☆今日の一句☆
何時(なんどき)も
心に遊びを
持たせよう