仏教に学ぶ生き方、考え方「桜のように蝉のように」
なるべく日帰りで旅行に行く私は、旅先での滞在時間が「数時間」ということもあります。
「わざわざ飛行機を使って行くのに、日帰りなんて勿体ない」と言われますが、何日も滞在するとなんとなく「ダラダラ」と過ごしてしまいます。
きっと「飽き性」なのかもしれません。
その数時間に考えられることを「詰め込んで」楽しむのです。
とはいっても、時間に追われるのは嫌なので、「ゆったりとした心持ち」で「その時その場」にいることを楽しもうとします。
そして「もっとこうすればよかった、あそこも行きたかった」という想いをなるべく忘れるようにします。
でもそういう気持ちが湧いてくるときには、「桜のように、蝉のように」と考えるのです。
桜は花びらを開いてから「一週間ほど」で散ってしまいます。
蝉も地上に出てから「十日足らず」で亡くなってしまいます。
これを人間は「儚い」と感じますが、実はどれほど長くても、それが「終われば」儚く感じるのです。
御書にも「百年同じようにあることはできない」とあり、「終われば幻の如し」と一蹴されているのです。
その長さより、その間に「いかに生き、いかに感じるか」のほうが大切だと思います。
私はそれを「旅行」で感じているだけのことなのです。
☆今日の一句☆
長くても
終わってしまえば
儚いね