仏教に学ぶ生き方、考え方「思うということ、するということ」
仏教には「行と信」という考えがあります。
行とは「行い」「念仏修行」などを指します。
信は「信じる心」「信心」を指します。
この行と信、どちらが「大切」なのかで「論争」になったことがあります。
親鸞聖人が法然門下で教えを受けていたときに、他のお弟子さんとの間でどちらが大切なのか言い争いになりました。
そして、行が大切だと思う人は「行の間」、信が大切だと思う人は「信の間」にそれぞれ座ったのです。
今で言う「○×クイズ」みたいにそれぞれが自分の思うところに座ったわけです。
「信の間」には親鸞聖人はじめ数人ほどが、そして大勢の人は「行の間」に座りました。
そこに法然上人がやってみえて、静かに「信の間」に座られたということです。
このことからつまり「信じる気持ち」「心がけ」が何より大切なのだということになります。
でも信心があれば行いはどうでもいいのでしょうか?
また信心だけあって、行いを何もしないということは果たしてできるのでしょうか?
実はこの逸話には「大切な心持ち」が隠されていると思います。
それは何かというと、比べられるくらい「どちらも大切」ということです。
どちらも大切なのに、人はどうしてもどちらがより大切なのか「比べたく」なります。
そしてそのことにエネルギーを使い、「無益な争い」をしていること、実は多くないでしょうか?
親鸞聖人は晩年のお手紙(御書)の中で「信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし」と言われております。
つまり「親鸞聖人」自ら「どちらも大切ですよ」と言っておられるのです。
☆今日の一句☆
こだわりを
捨てればすべて
輝ける