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ほとけさまのおしえ「洗脳」

 お坊さんが御同行様に法話をお伝えするとき、一番気にしていることは何だと思いますか?

 私は「洗脳」という言葉をとても気にします。
 
 「脳を洗う」ように、考え方を書き換え入れ替え、「別の人格」にしてしまう。

 そして宗教によってこの「洗脳」が行われてしまう事に「危機感」を感じざるを得ません。

 「そんなことを言ってやっぱり何かしら洗脳してるんですよね?」と思われてしまうかもしれません。

 でもよく考えてみれば、私たちは日常的に「様々な洗脳」を受けているのではないでしょうか?

 例えば、毎日学校に行ったり仕事をしたりすることも、よく考えてみれば「社会がそうするように洗脳した」とも言えます。

 そして学校にいかない子どもを「引きこもり」といい、働かない人を「ニート」と言い、ラベルを貼っているだけではないかと。

 引きこもりやニートである前に人間であるにも関わらず、それを飛び越えて「落ちこぼれ」のように言うのはいかがなものでしょう?

 引きこもりやニートの方は、何かしら社会に対して「生きづらさ」があり、そこから自分の心と体を守っていると考えることもできますよね?

 だとしたらそれは正しい行いであり、もっと堂々と「何が嫌なのか?」ということを発信していってもいいのかなと思うのです。

 そして阿弥陀如来様は、そういう方々も含めて全ての人々をすくい取る心構えをお持ちなのです。

 世の中のことを正しく見ていく「正見」には、「隠された洗脳」を見つけていくということも説かれているように感じております。


☆今日の一句☆

 本当に
   洗うべきは
       我が心

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