仏教に学ぶ生き方、考え方「バブル」
今日も手洗い洗濯ネタを一つ。
朝から法要を一つ終えてから、「法衣」を手洗いしました。
法衣は洗わずに着続けることもあり、お線香の煙や何やらでけっこう「汚れて」おります。
でもなるべく洗剤の量は「少なめ」で洗いたいのです。
なので水の量をたらいの「三分の一」程度にし、そこに洗剤を入れて押し洗いをします。
その時に、「手首」を向こう側に回旋するように押していくのです。
つまり手前側から奥に向かって「ローラー」のように押していく感じになります。
すると繊維の中にあった「空気」が押し出されて、「繊維の間」から泡になって出てきます。
この泡で、繊維の隙間の「汚れ」を取ろうという魂胆です。
やってみると、繊維の間から「勢いよく」泡が出てきて、いつもより水の「濁り」が増えているようです。
「泡の威力」を感じながらも、手洗い洗濯でバブル洗浄を意識している人は、なかなかいないだろうなとひとり「悦に入って」おりました。
鴨長明は方丈記の序文で「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」と記しております。
私たちの命も「川に浮かぶ泡」のように「儚く」「当てにならない」ものだと言われたのです。
もしそうであるなら、誰かの心の苦しみや悲しみを少しでも取り除けるような「泡」で有りたいものです。
☆今日の一句☆
浮かぶ泡に消える泡
同じ泡なら
取らなきゃ損損
※泡だけに「阿波踊り」風にアレンジしてみました。今日の一句コーナーの荒廃ぶりにどうか眼を瞑ってやってください。