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仏教に学ぶ生き方、考え方「ドリハラ」
「ドリハラ」
最近は、将来の目標を聞いたり、目標を持ちましょうと求めるのも「ドリームハラスメント」と言われてしてはいけない世の中になりつつあります。先生が学校で子どもに「大きな目標を持ちましょう」「夢は大い方がいい!」と言ってはいけないのです。
また「目標を持てない」「目標がない」という人も認めていかなければなりません。
またモラハラ、アルハラ、パワハラなどいろいろなものに「ハラスメント」という言葉が付くと、それだけで「してはいけない」風潮になっています。
では仏教では「ドリハラ」をどのように捉えるのでしょう?目標を持てない、夢を持てないことは意味がないことなのでしょうか?
答えはシンプルに「ノー」です。というのも「遠い未来の目標」よりも「今日という日に何をするのか」のほうが実は大切なのです。
それは何故かというと今日、人はみな「今」という一瞬にしか生きられないからです。
ダイエットで「二十キロ減量」という目標を立てるよりも、「今日ご飯を半分にする」という行動のほうが重要ですよね?なぜなら今日何をするかの積み重ねがやがて二十キロの減量につながるからです。
同様に「志望校合格」という目標よりも、「この問題文の解き方がわかる」、「きれいな家に住む」という目標より「目の前のゴミをゴミ箱に捨てる」という行動のほうが実は大切なのです。
そのように毎日の行いをコツコツとした上で、徐々に生まれ育ってくるものがより「大きな目標」なのだと思います。
実はこのことが意外に忘れられているのではないでしょうか?そして忘れがちな日常の小さなことに眼を向けていくことが修行(行いを修める)なのだと思います。
ということで、私も毎日の「朝夕の読経」や「境内の掃除」、「御同行様とのやり取り」、「年回や各種ご法要」といった毎日の行いをよりしっかりと見つめて、一つひとつを大切に行っていきたいと思います。
その中で大きな夢や目標が育ち、皆さんと共有できれば幸せです。
☆今日の一句☆
未来より
今日することが
花咲かせ