仏教に学ぶ生き方、考え方「出雲の地にて思うこと」
一昨日の広島から昨日は山陰に移動し、「出雲」までやってきました。
いつも「日帰り」か「一泊」旅行の私には珍しく二泊しております。
出雲市駅前のホテルにて温泉に入って疲れた身体を休め、「早めに起床」しました。
この山陰の地にも「猛暑」は襲いかかっており、少し歩くと汗がすぐに滲みます。
そんな中、昨日は「出雲大社」に参拝をしてきました。
勢溜の大鳥居をくぐり抜け歩みを進めると、まっすぐな「参道」が見えてきます。
まっすぐとはいうものの、高低差は結構あるので、歩みを進めると徐々に「四の鳥居」と「拝殿」が見えてきます。
この参道を歩く間に、いろいろな物事が浮かんできます。
八百万の神様に、どんなことを「報告」しどんな「お願い」をしようと考えを巡らせるのです。
やがて四の鳥居を通り、大きなしめ縄のある「拝殿」の前にて参拝をさせていただきます。
そして八足門から「御本殿」に参拝し東十九社にて「全国からお越しになった神様」にも参拝いたしました。
時間が遅かったので残念ながら「素鵞社」へはお参りできませんでしたが、気持ちだけお参りさせていただきました。
出雲大社にはたくさんのお参りする「場所」があります。
それを順番にお参りすることで、「沢山の神様にお護りしていただいている」ということを実感できます。
つまり、私たちは参っているつもりでも、実は神様に「想われ護られている」存在だということに気付かされるのです。
そして神様と同様に「仏様」にも想われ護られている。
参拝とはそういう「気づき」をいただけるためのものだとあらためて感じておりました。
☆今日の一句☆
神様に
観られ想われ
護られて