仏教に学ぶ生き方、考え方「ありがたいと思わないということ」
真宗の御同行様や僧侶は、「極楽世界に再び生まれる」ことが一つの目指すところであります。
でもそもそも、どうして極楽に往生したいと思うのでしょうか?
一般的には極楽に往生するより「また人間に生まれ変わりたい」と思う人も多いはずです。
たぶんほとんどの人はそのように思ってみえるのではないでしょうか?
実はそのことについて、関東での布教をされていた「親鸞聖人」に尋ねられた方がおられました。
「歎異抄」の著者であろうと言われている「唯円」(ゆいえん)です。
唯円は親鸞聖人に、「極楽に往生したいと思う心が一向に起きない」と打ち明けます。
それに対する親鸞聖人の答えは「お〜唯円お前もそうなのか。実は私も同じだよ!」というものでした。
念仏すれば必ず極楽に往生できるのは「ありがたいことだ」と人には言っておきながら、自分はそのように「感じていない」なんてちょっと無責任ですよね?
例えはよくないかもしれませんが、このご飯がそれほど美味しくないのに、「めちゃくちゃ旨いですよ~、あなたも食べてみてください!」と言っているようなものです。
でもこの話には続きがあります。
親鸞聖人は続けてこう言われました。
「ほんとはありがたいことなのに、そのように思えないのは、自分の心の中に煩悩が渦巻いているからだ。そうやって煩悩を消し去ることができない凡夫だからこそ、必ず阿弥陀如来様がお救いくださるということが確約されている。これは頼もしく嬉しいことですね~」と言われたのです。
自分の心に正直に、でも深い考えで「至心信楽」(ししんしんぎょう)されている。
こういう考え方が真宗にはあるのです。
☆今日の一句☆
我なんぞ
見つめ続けて
出る言葉