仏教に学ぶ生き方、考え方「畳」
今日は朝から本堂を掃除しました。
広い余間を掃除機で吸っていきます。
掃除しているときに、「どこを掃除機で吸ったのか」わからなくなるのでは?と思われる方も多いのではないでしょうか?
でも実際してみると意外と大変ではありません。
それは畳が敷かれているからです。
つまり「広い余間」を掃除すると思うのではなく、畳を「一枚ずつ」吸っていくと考えるのです。
一枚終わったら「隣の一枚」ということを繰り返せば、いつの間にか掃除ができてしまうのです。
考えてみれば畳はとても「合理的」です。
人の手で運べるし、傷んだところがあればその「部分だけ」変えればいいわけです。
「クッション」としても「床材」としても使え、広さの把握も簡単です。
そして人ひとりが居住できる最小単位が「一畳」ではないかとも思っています。
鴨長明が晩年居住したとされる「方丈庵」は「三畳」ほどだったそうです。
そしてその半分を念仏の間にしたのです。
畳一枚があれば、阿弥陀如来様を思い「念仏」申し上げたり、座禅で「瞑想」したりできる。
畳と仏教はとても「深い関係」なのかもしれません。
☆今日の一句☆
コツコツと
畳一畳
積み重ね