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ほとけさまのおしえ「命を終えるということ」

 日々の忙しさに忘れていることのひとつに、自分もいつかは「命終えるときが来る」ということがあります。

 そんな事を言っても「今ここにこうして」生きているわけですし、なかなか想像することはできません。

 でも夜一人で眠っている時やふとしたときに、この体や意識の「全てを手放すときがやってくる」と実感をともなって考え出すと、とても怖くなってしまいます。

 そして「人はなぜ命を終えなければならないのか?」と考えてしまうものです。

 命を授けられてここに生きているということを、いろいろな例えで表すことがあります。

 「深い滝壺へと流れる川を進む船で毎晩楽しく過ごしているようなものだ」とか、「火がついた家で知らん顔をして楽しみに興じているものだ」とか、、、。

 そして親鸞聖人は「波が次々と押し寄せてくる海に浮かんでいるようなものだ」と例えられました。

 つまりは私たちはいつか必ず命を終えることが「決定している」と諭されているのではないかと思うのです。

 財を成しても権力を握っても、いくら好かれようが嫌われようが、そんなことに関係なく「限りある命」を生きている。

 長くても短くても「いつか終わる」ということにおいては同じと感じてらっしゃる方はどれほどいらっしゃるでしょう。

 そして人の命について深く考えて「夜も眠れなくなる」ときがある方も多いと思います。

 でもいくら考えても答えが得られずに疲れ果ててしまうこともあるでしょう。

 そんなとき、お釈迦様が「命」についての諭された言葉は単純明快です。

 「私たちがなぜ命を終えるのか、それは私たちが生まれてきたからですよ~」

 生と死は「対」であり、決して離れることはないんですよね、、、。

 そのことを心に刻んで、今を過ごしていきたいなと思っております。


☆今日の一句☆

 生と死は
    常に私の
       側におり

 

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