
Photo by
tender_cosmos574
仏教に学ぶ生き方、考え方「救ってあげるのではないということ」
阿弥陀如来様は私たちが生まれる遥か前から、私たちが数多くの煩悩に苛まれ、その結果悲しみや苦しみを抱くであろうことを「知って」おられました。
なのでそういう凡夫のために「四十八の願い」を建てられました。
その一つひとつは、ただただ私たちを「救いたい」という願いから発せられたものです。
ここで、阿弥陀如来様は「救う」ということをどのような心持ちで抱かれたのでしょう?
私も知り合いが悲しんだり苦しんだりしていたら、なんとか「心が軽くなるように」と思います。
それは救いたいという想いになりますが、その中に「救ってあげる」という心持ちを抱くものです。
つまり、こちらはそれほど困っていないから、困っている人に「同情して」救ってあげるという気持ちを持ってしまいます。
でも阿弥陀如来様は実はもっと深い「慈悲の心」でお救いいただいているのです。
それをあえて言葉にするなら、「どうぞあなたさまを救わせていただきたいのです」と言っていただいているようなものだと思います。
つまり上から手を差し伸べて引き上げるのではなく、一緒に横にいて抱き上げて「救わせていただく」ようなイメージでしょうか?
それは私たちが命あるときも、命尽きるときでも同じように向けられているのだと思います。
そしてそういう心持ちでいていただけるからこそ、私たちはすべてを「お任せ」できるのです。
☆今日の一句☆
救わせて
ほしいと願われ
任さるる