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ほとけさまのおしえ「結婚というもの」
突然ですが皆さんは「ご結婚」なさっておられますか?
また「結婚」というものについてどのように考えてみえるでしょうか?
たしかに結婚は「永遠の愛」が確約され、「幸せが形となるひととき」であり、人生の中で「最も輝く瞬間」になるでしょう。
逆に「不幸になろう」と思って結婚する人など、ひとりもいないはずです。
でも月日が流れ様々な出来事が起こると、いつの間にか深いと思っていた愛情は「薄れ」、奇跡の出会いは「当たり前の日常」に変わり、「なんで結婚したのだろう」と後悔する人も多いのではないでしょうか?
「いやいや、うちはそんなことはありませんよ~!結婚してからさらに愛情が深まっています!」と思う人も多いと思います。
でもそのどちらになるかは、少なくとも結婚する時点では「計り知れない」ことです。
もちろん本人たちの努力もありますが、「周りの環境」に大きく左右されることもあるでしょう。
では仏教的には「愛情や結婚」をどう考えるのでしょう?
まず愛は「愛着」と考えられ、これは執着心や煩悩の一つであると考えます。
「愛憎」と言う言葉がありますが、実は愛情は期待感であり、それが裏切られると「簡単に」憎しみに変わります。
そして「未来のこと」は何一つ定まっておらず、何が起きどうなっていくかは実は「わからない」のです。
そのことを理解していないと、愛情は「苦しみや悲しみの元」にもなりかねません。
そして「愛別離苦」や「怨憎会苦」という苦しみを味わうことになります。
ではこれらを「防ぐ」ためにはどうすればよいのでしょう?
ここからは私見になるかもしれませんが、一言で言えば「こだわらない」「ありのままを認める」ということではないかと感じております。
つまり「愛情は移ろいやすく、形あるものは常に変化している」ということを知るということです。
一緒になれば「喧嘩」をすることもあれば、離れればその存在に「感謝」をすることもある。
そして、そのことを全て包みこんでくれるような「慈悲の世界」が仏教にはあるのです。
☆今日の一句☆
慈悲心(じひごころ)
愛憎すべて
包みこむ