仏教に学ぶ生き方、考え方「読経をするということ」
私はだいたい朝夕に本堂で「読経」をしております。
これは「供養」とか「菩提」のためというより、読経が「心地よく心が整う」からだと思います。
「供養のためではないんですね〜」と残念がる声が聞こえてきそうですが、実は真宗では「供養のためにお勤めをする」という考えはありません。
亡くなった方は、阿弥陀如来様に救われて「仏様」になっておられるので、「供養するまでもない」わけです。
逆にこちらが亡くなられた方から「供養されている」といったほうがいいかもしれません。
ではなぜお経を唱えるのでしょう?
それはお釈迦様の説かれた教えから、「私たち生きているものが世の中を正しく見つめることができる」ためだと思っております。
かと言っても意味が「全て」わかるわけではありません。
「ところどころ」分かる程度です。
ちょうどどこかの「大学教授の講座」が意味はわからないけどところどころは頷けるようなものでしょうか?
でも意味は分からなくても、その教授は「深く物事を考えていること」は伝わってきます。
そのように阿弥陀様が私たちのことを「深く想ってくださっておられる」ことが伝わってくるのです。
それを感じられるひとときが「読経の醍醐味」でしょうか?
難しい話はさておき、お経を唱えるとなぜか「心が落ち着き」、なぜか「気持ちがスッキリする」のです。
ぜひみなさんも日常生活に読経を「取り入れて」いただければ幸いです。
☆今日の一句☆
取り入れよう
度胸はなくとも
読経を
※最近、ダジャレの質が落ちてきております。ご容赦くださいませ。
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