仏教に学ぶ生き方、考え方「蝉の命が儚いということ」
夏本番になり、自坊の境内のあちこちに「直径二センチ」ほどの穴がポツポツとでき始めました。
この穴は「蝉の幼虫」が地面から出てきて近くの木に登って成虫になるためにできるものです。
小さい頃はよく夜中に「懐中電灯」を持ってその様子を見たものです。
木の幹に身を反るようにして「全身白い」成虫が出てきます。
その様子はなんとも「神秘的」で命の営みの不思議さを感じたものです。
そうやって成虫になった蝉はだいたい「十日〜二週間」で命尽きてしまいます。
飛べなくなってもなお羽をバタつかせ鳴こうとする蝉を見ては、その「命の儚さ」を感じたものです。
私に限らず二週間しか生きられない蝉の成虫を見て、「儚いな~」と感じると思います。
実はそれと同じように私たちを見ている方がいらっしゃるのです。
それは阿弥陀如来様をはじめ、数多くの「仏様」です。
「人生百年時代」と言われる昨今ですが、実は百年元気で生き続ける人はまだまだ少ないのです。
まして「百年変わることなく」過ごすなどということはありえないことです。
そして仮に百年生きたとしても、過ぎてみればそれは「夢幻の如し」なのです。
仏様の「永い時間」からすれば、きっと私たちの人生は蝉のように見えているでしょう。
つまり蝉と同じように儚い時間を生きる私たちが、「今というこの時」をどう生きていこうとしているのか。
そのことを蝉から「教えていただいている」のでは?と感じております。
☆今日の一句☆
感じよう
蝉の儚き
我が身にも
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