仏教に学ぶ生き方、考え方「電車で席を譲るか譲らないか問題について」
混んだ電車で、前に「お年を召した方」や、「小さいお子さんを連れた方」が立たれたら、あなたはどうしますか?
おそらくほとんどの方が「席を譲る」と答えるでしょう。
でも実際にその「場面」になると、いろいろと悩んだりするものです。
席を譲ったなら、お礼の言葉一つで「快く」座っていただきたいものです。
でも中には、「席を譲ってもらうような歳ではありません」とばかりに嫌な顔をされたり、頑なに「固辞」されたりすることもあります。
そういうときには、席を譲った本人が「気まずい」思いをしてしまいます。
なので、やっぱり「知らない顔」を決め込んだり、スマホに「夢中なふり」をしたり、「寝たふり」をしたりしてやり過ごします。
ではこういう場面を、「仏教的」にはどう捉えるのでしょう?
「席を譲る」ことは「布施行」にあたり大切にされております。
でも実は、布施行は自分だけでは「成立しない」のです。
「布施を行う者」、「布施を受ける者」、そして「布施をする物」がないとできない行なのです。
つまり「席を譲る人」と「席に座る人」、そして「一人分の空席」が必要になります。
そして「一人分の空席」を使って、布施を施す方と受ける方が同じように「修行をする」と考えるのです。
布施を施す方は「どうぞお座りください」と施したものや相手に執着せず離れる行を心がけます。
と同時に布施を受けた方は、「感謝をして布施をそのままいただく」という行を心がけていくのですね。
それが合わさって「布施」という行為になります。
つまり布施を拒まれたり断られたりしても、それは相手が「布施の心持ち」を持っていないだけのことで、何も恥ずかしがったり、嫌な思いをしたりする「必要はない」のです。
ではどうしたら上手く布施の「心持ち」で席を譲れるのでしょう?
それはとても「簡単」です。
相手に布施を受ける心持ちがあるかどうかを「確かめてから」布施をすればいいわけです。
席を譲る前に、「もしよろしければお座りになられますか?」と聞いてから譲ればいいだけのことです。
そして「結構です」と断られたら、また何事もなかったかのように、座り続ければよいのかなと思っております。
そして「布施行」をいつでもどこでも実践しようとしている自分を、心の中で褒めてあげれれば「幸せ」を感じることができるのではないでしょうか。
☆今日の一句☆
出かけよう
そしてどんどん
布施しよう
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