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ほとけさまのおしえ「令和の米不足」

 自坊の地域では稲刈りがほぼ終わり、「新米」が出回るようになってきました。

 自坊では「お斎米(おときまい)」をいただくこともあり、お米がなくなることはほぼありませんが、世間ではお米が店頭からなくなるところも多いそうです。

 先日、近所のドラッグストアに向かうと、お米の販売コーナーに「一人一袋まで!」と大きく張り紙がされておりました。

 一時的であるとはいえ、田んぼばかりの田舎でも「米不足」になっているようです。

 以前、このnoteで「ご飯が好き」という投稿をしたことがありました。

 その時には「糖質制限」が流行り、お米の消費量が減って農家さんが「米価下落」に喘いでいるというようなことを書いたと思います。

 そしてご飯好きの私は、お米を「ありがたく」いただいていることもお話したと思います。

 世の中は常に新しいものを追い求め、「今まさにここにあるもの」が置いていかれることもあると思います。

 身近なお米はそれほど食べずに、遠い国から輸入された「オートミール」や「小麦」を食しているのも不思議なものです。

 同じように、遠くインドから中国を経て我が国に伝えられ、今は身近に存在する「仏教の教え」も、当たり前すぎてそこに魅力を見出すことが難しくなっているのではないかと、、、。

 そんな仏教もかつて大陸から伝わったとき、その教えに心動かされて「スポンジが水を吸収するように」人々の心に沁み入っていったことでしょう。

 そして「聖徳太子様」は仏教の教えを元とした国家まで創ろうとされております。

 そんなことに想いを馳せると、今ここにある「お茶碗によそわれたご飯」や「仏教の教え」をありがたくいただく生き方も、見直される時が来るのではと「密かに期待」しながら、今日も美味しくご飯をいただいております。


☆今日の一句☆

 今ここに
    在るもの実は
         ありがたき

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