【コラム】名作模倣者たちの間違い

3000文字前後のコラムです。
暇つぶしによければどうぞ。

記事概要

名作を模倣(リスペクト)することは
学習行為としては問題はないのだが。
ただ、間違って作られてしまったゲームについて
考察したくなり、書きなぐった。

私視点、個人ゲーム制作者としての観点や経験
あるいは社会的意味から考えて書いていく。
あとは、ざっくり書くなら
模倣される物は、名作コンシューマゲームを想定しており
模倣者は、個人フリーゲーム制作者を想定している。

<前置き>

模倣する行為を否定するものではありません。
前回のコラム
「作家の経験は起爆剤、能力は実現性としてサイクルする」
で少し触れたように、物事をマネして進化した人類なので
その行為自体は重要なことと思っています。

記事結論

間違い

・あるのに作る
・原作に近いコピーを完成させる
・メタゲームを知らない

正道

・ないから作る
・原作を土台にオリジナリティを混ぜ込んで完成させる
・メタゲームを知る


- 序 -

仮話、テニス(プロ)の想定で想像する。

 1. テニスプレイヤーがスーパーサーブを史上初習得。
 2. シーズン中、そのプレイヤーは勝利者となった。
 3. 次シーズン、マネして習得したプレイヤーが急増。

その後の展開はどうなったか?

 4. 急増プレイヤー達はしばらく勝利者となった
 5. そのうち、慣れたプレイヤー達に対処されはじめる
 6. 敗北した者達は、他の手段を探すようになった

この仮話の主人公は急増したプレイヤー達と考えて欲しい。
スーパーサーブを必殺技と置き換えるが
必殺技を後から模倣するだけの場合
勝っては負けてを繰り返す結果となる。

負け続けることがないのが強みのプレイヤー達。
"負けない模倣者"と名付けることにする。

負けない模倣者が、勝ち続ける模倣者となるには?
ゲーム外のゲーム、メタゲームをここでは参考にする。

テニス仮話においてのメタゲームとは
前シーズンの選手傾向を読んで、次シーズンを考えるということだ。

・必殺技を磨く選手(トップメタ、環境)
・対策を用意した選手(アンチメタ、対抗者)
・奇手のある選手(ダークホース、ニッチャー)
・別の定番戦術(次期トップメタ、創造者)

メタゲームの例

あえてトレーディングカードゲームの
メタゲーム理論を参考に出しているが
ここでの結論は"負けない模倣者"というのが
創作初期の考え方として参考になることだ。
 
必殺技は模倣される可能性がある。
慣れる=飽きるまでが必殺技の使い道。
ただし、王道や天丼や様式美などは基本技であって別物。
必殺技が基本技になることもある。


- 破 -

次は動機と方向性に寄った話を書く。
今度はゲーム作品と模倣者を主題にすえる。
テニスの技術と違って著作権や法律が絡む話にもなる。

 ①体験:名作ゲームを遊んでる!楽しい!
 ②願望:私ならこの装備やキャラを導入したい!
 ③行動:私がゲーム作ろう!作る!!

②願望で導入したい部分については人によって様々に内容が変わる。
話の展開だったり魔法や必殺技だったりカードだったり……
なにかしらの不満を感じた部分といえる。

③行動は②願望での要望が作者側に届かなかった結果かもしれない。

上記行動の結果は、下記ABCの3パターン

 A. 原作に近いものができたぞ!
 B. 全然違う物だけどできたぞ!
 C. できなかったぞ!

①の名作ゲームが生きていて(会社や著作権が残っていて)
それぞれABC作品の完成度別で公開したとして
結果的にどうなるか想像してみよう。

A.原作に近い物ができたぞ!

プレイヤーから見れば原作に近い物と受け止められた物。
原作で導入したいものを自分なりに導入した場合もある程度含む。

 ・原作を上回るもの/近いもの
    問題児(クローンゲーム想定)としてここでは取り上げる。
    結果的に原作を貶める行為になるかもしれない。
    場合によっては公開方法や法的準備、理由が必要。
    
 ・原作と同じ
    ただのコピー作品(公開すれば違法)。
    結果的に、模倣者の時間が取られるだけかもしれない。
 
 ・原作を下回るもの
    Bの別物~の内容も含まれる。
    二次創作かどうか怪しく、劣化コピーの可能性も。

このA作品の場合はいずれでも
自分で遊ぶか学習用途ならOKにしかならない。
理由は、原作と同じ絵/音楽/設定/キャラなどの雰囲気を
そのままマネしようとしている点。
そこから回避・脱却する必要があるのは言うまでもないが、
"負けない模倣者"がそのままではダメな理由として認識が必要。

B.別物だけどできたぞ!

自分なりのゲームとして作成されたもの。
傾向の大別はしたが、A作品と混じる部分もある。

 ・世界観が同じで別ストーリー/別システム
   二次創作。部分的に許容される作品。
   原作者の許可があれば成立しやすい内容。
   高水準な模倣になると原作以上になるケースもありうる。

 ・オリジナル(比較して別物である作品)
   創作で目指すべき模倣パターン。
   
ニュアンスを感じる部分はあるが
   オリジナルあるいはリスペクトゲームであるもの。
   原作と比較されても区別されやすく
   その作品として好意的評価されやすいもの。

このB作品は模倣者の正解パターンである。
普通はここを目指す。

C.できなかったぞ!

模倣者の時間が消費されるだけ。
違法になるよりはもちろん良いし
早めの予測で見極められればダメージは少ない。
(経験は得られるのでムダではない)

C作品はそもそも完成しなかったパターン。
時間や能力が足りなかったのかもしれない。

以上、ABCをまとめた結論として
 ・原作の模倣は法律的な問題が生じる
 ・二次創作かオリジナルなら目指す価値がある
 ・作るなら作りきれ、経験から予測しろ


- 急 -

最後に、動機と方向性の間違いと正道を結論をつけておく。

・動機

ないから作る、を動機の前提としたい。
あるのに作る、のは間違いだ。そして

作りたいから作る、の動機から
作れるから作る、という見込みの元で
作らなきゃいけないから作る、という覚悟を持つ
その3点を作る前に考えて欲しい。

それでも、ある原作にどうしても不満があるのなら
それがまだ活動していて見込みがあるのなら
会社やスタッフがまだいて連絡が取れるのなら
要望を送って改善してもらうのが
互いにベターな結果に結びつくはずだ。
(解消されない不満があるなら、あきらめて離れればいい。
 離婚手続よりは気持ち楽なはずだ。)

・方向性

練習目的で模倣や手本にして作るのはよい。
しかし、そこで終わるのは間違いだ。

作者はその先の公開(創作)に向けて
新しい体験、オリジナリティを考える必要がある。
(二次創作でも原作を逸脱し過ぎない範囲で求められる)
 
"負けない模倣者"の考えをベースに勝利を目指してほしい。
土台となる様式美の概念や共通意識や文化があり
そこにオリジナリティを付与することに意味があり
創作意図やアンチテーゼの意味も伝わるように思う。

より簡単に言えば、アイデアをうまく既製品に混ぜること
模倣者の作品目標になる。その混合比率が……
作者のその後の特徴となっていくことを祈りたい。


<ここから先はコラム外>
記事を書いた理由、遠因などの自分語り。
1400文字前後あります。

- 外 -

似たものが悪いかどうか

これは最終的に、主観の問題になる。
一般人が知らなくても、専門家からみたら
「これは贋作、パチモン」みたいな判決もあるだろう。

贋作やパチモンでも、そこに無ければ使うのが人の道理でもあるが
逆に言えば、あるのに作るのは不毛というのが重点であると思う。
 
個人としては、ゲームが文化として継続してほしい。
そう思う一方で、不毛さも感じている。
日々、腐るほど作品があって生み出され続けているのに
社会や生活を好転させる様子は感じられない。
「これは時間を食うだけで害悪ではないか?」と思い、検証したくなる。
社会を好転させる(または邪魔しない)ようなゲーム文化であって欲しい。

ゲームばっかりしてないで!

私は大学時代、あるオンラインゲームにはまっていた。
別に廃人と言う訳でなく、学業にもバイトにも励んでいたし
外から見れば問題のない学生だったと思う。
それでも私が間違っていたと思っているのは
非常に時間を拘束され、運動の時間が減り、
生活リズムも崩れて、体力低下したことだ。
失神はしなかったが、夏に貧血を数回起こして
冷蔵庫に寄りかかっていた記憶がある。

大卒後、はじめて社会人となったときの健康診断では
身長比の適正体重より-15kgでガリガリであった。
その後は紆余曲折あり平均~+5kgぐらいで収まっているが
今の生活の遠因として、影響を及ぼした可能性はある。
 
このへんの経緯から、時間的な区切りがあり
中毒性は抑えた、拘束されないゲームを作りたいことが念頭にある。

まあそんな感じなので、ゲームばかりしてないで!
体力をつけられる学生はぜひ体力をつけることを促したい。
それだって立派な才能で、社会を生きるには必要な能力だと思う。
『筋肉最強』系統の自己啓発本も、完全にバカにしたものではない。
(筋肉を過剰信仰しなくていいが、精神的な良作用も期待できる)

身体を思い通りに動かせることだって、ゲームに勝るとも劣らない
素晴らしい体験が得られることを再確認してほしい。
(長距離走や手品や曲芸ができれば、ゲームでの成功体験と同じ!)

あとついでに言うなら、
ゲーム外から得られた経験は創作に生かせること。
引き出しが多くなり、材料増えアドリブも効くようになる。

面白ゲームを模倣したい気持ち?

どこかで見たようなゲームの存在。
コモンやプラグインやシステムだけで作られたゲーム。
それが処女作なら別に構わない。
(むしろ逆に新鮮味があるバグがあると喜ばれる)

ただ、ウディタにしろツクールにしろ
慣れきったゲーム体験というのは嫌気がさすものである。
どこかで見た展開を、似たような形で何回も提供されるのは
食い飽きるので、摂取側も回避するようになる。

しかし、またあの経験を!とか時間が経つとなったりするので
遊び易さや評判、話題性に帰結するのかもしれないが。

不満のある作品は……

不満のある作品を、あえて凡作品と言うが。
(※注意:凡作品とは、私視点から見た飽きやすい作品のことです)
 
遊んだ凡作品には凡作品なりに得られるものはある。

1・反面教師とする
2・改善点を見出して自分のものにする
3・怒りや憎しみを創作の燃料に変える

3については私自身の特殊性かもしれない。
「もっと良い経験を得たかった!」
「時間をムダ感じだ畜生!」
という気持ちからくるものと思う。
 
私の心にあるのは形のない名作への執着か。
私は恐らく、原作には至れないかもしれない。
是即ち、永遠の模倣者フェイカーなり。なんちゃって。

『これを抑えれば大丈夫!凡作品を作らないためのコツ』とか
誰かフリーコラムでもなんでも書いてくれないかなぁ。
このコラムがそんな感じになってれば何よりです

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