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「ハムスターに目的はあるか?」
一昨年の年末、僕はサッカーW杯に熱狂していた。
2022年カタール大会、日本代表は強豪集うグループステージを劇的な試合展開で突破し、史上初のベスト8を賭けたクロアチア戦に敗北した。世界という「壁」の厚さをまじまじと見せつけられたあの夜、あまりに悔しくて、僕はオンオンと泣いた。無自覚なナショナリズムを抱いていたのかもしれないし、抱いていなかったのかもしれない。
そこから、サッカーがさらに好きになった。ひたむきに何かに取り組んでいる選手たちを理屈抜きで格好良いと思った。幼い頃は地元のサッカースクールに通っていたが部活にするほどではないと辞めてしまい、代表戦が地上波で放送されていれば親父と観るくらいの距離感を保ってきたのだが、凪いでいたサッカー小僧の血が騒いだのかもしれない。
特に三笘薫選手(Brighton & Hove Albion)のドリブルに魅了され、イングランドリーグ(Premier League)を毎節追いかけ始めた。世界トップクラスの選手や監督が揃うタレント性や技術、そして戦術の妙を、素人ながらに分析して観戦するのが堪らない。スペインリーグ(La Liga)で躍動する久保建英選手(Real Sociedad)についても、毎節追いかけられているわけではないが、同じ2001年生まれということもあり、特別な思いで応援しちゃったりしている。
かたや僕はずっと何者でもなく、約1万km離れた暗い部屋の画面を通して応援することしかできていない。深夜23時から早朝4時にかけて、伝わることのない思いを募らせる。人間とは、趣味とは、いったい何なのだろうか。
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遅れてきた青春
そんな日々が一年ほど続いた2024年の年始、ついに観ているだけでは収まらなくなり、再びサッカーを始めた。
初売りに乗じて数年ぶりにゼビオに行き、トレーニングシューズとフットサルボールを買ってみた。練習相手になってくれるような友だちは当然いないので、ひとりでやる。念のためボールが飛びにくいフットサルボールにした(社会人になってフットサルチームに入れたらいいな…..そして友だちができたらいいな……という下心も持ち合わせて)。
「ひとりでサッカーをやろう!」といったはいいが、どのように転んでも集団スポーツなので、近くの少し広めの公園に行って、ドリブルと軽いシュート練習をするくらいしかすることはない。しかも、日中はお子や学生、犬の散歩などと共存する必要がある。それゆえ、必然的に“自主練”は夜に取り組むことになった。
世間が寝静まった頃、芝生を転がるボールを追いかける。芝生の禿げや電灯の影を目印にドリブル。壁当ての白線に目掛けてフリーキック。ひとりでも意外と楽しい。再現性のあるプレーを目指すことで、自分の身体の操縦が上手くなっている気がして嬉しい。そんなことを週に2,3回、1時間半くらい繰り返していくうち、何だかいまの僕がハムスターのように思えてきた。
ハムスターは、一晩で約10km走るという。体内時計を維持し、健康を保つためだと、チコちゃんが怒っていた。どの個体でも同じように、夜になると走り出す習性をもっている。彼らは、何かルールに従っているわけでも、自由意志によって動いているわけでもない。とにかく本能として、走り、動く。
かたや僕は、何となく体力の衰えを感じながらも、これまで運動習慣を身につけることができていなかった。資格の勉強も、友だち付き合いも、目的が明白で、納得できるものなのに、取り組めていない。あれこれと理由を付けたり付けなかったりして、とにかくやれていない。
なんて僕は弱いのか。人間は理性があるから凄いんじゃないのか。ハムスターは目の前の滑車をひたむきに走っているのに、何一つ成し遂げられていないじゃないか。生きるために精神(ソフト)を擦り減らして戦っているのに、生きるための身体(ハード)を大切にしてやれないのは、あまりよろしくないんじゃないか。
僕は今年から社会人になる。ずっと先延ばしにしていた「何者かになること」ができるかもしれない。ならばせめて、動こう。昼まで寝ている場合ではない。つべこべ言うだけの大人になりたくない。
ひとまず、明日もボールを蹴り込むことにしよう。いつか「壁」を壊せる日が来るかもしれない。