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親父と息子は似ていた

8月30日。毎年巡り来るこの日は、いつも明るい気持ちにさせてくれる。

なぜかといえば、あれより悲しくて悔しいことはもう人生で起こらないからだ。

誰よりも優しく、誰よりも正しく、誰よりも素敵な親父が呆気なく亡くなってしまうのなら、世の中に神や仏はいないし、ドラマチックな奇跡を信じるだけ無駄だ。ここにあるのは偶然だけで、理由を求めちゃいけないんだなと、19歳になって1週間も経たない僕は思った。

一種の諦観と、そこから湧き出てくる現実はまさに「背水」で、前にしか道はないという僕の考え方を決定づけた。当時の日記を見返すと「生き方は決めた。あとはやるだけだ」とあり、『呪術廻戦』の夏油傑と同じことを言っていてちょっと恥ずかしい気持ちになった。

明日全部終わっちゃうなら、明るく生きてないと勿体ない。明日全部終わっちゃうなら、好きなひとには好きと伝えよう。明日全部終わっちゃっても、僕以外の誰かには明後日があるから、その人たちのために生きる。

翌日の朝日に誓った決意は、幾度とない小規模アップデートを経て、4年間変わっていない。




今年の命日も、実家に帰ってきた。

ちょうど両親をよく知る同僚(数年先輩)の女性が家を訪れていて、一度も聞いたことがなかったふたりの結婚する前のエピソードを教えてくれた。

面白かったのは、親父が入社してからの8年間、同期入社していた母に片想いをしていたということだ。

8年ン⁉︎

本田圭佑のW杯実況みたいな声が出た。どこぞの恋愛ドラマより透き通るほどの純愛を成し遂げているじゃあないか。

真面目で人当たりがよくて、同期の集まりを積極的に仕切るタイプの親父だったけど、母と話すときはいつもデレデレの目元になっていたり。あとは、母がいる集まりのときは特にウキウキで、走るときも内股っぽくなっていたり。ホントかよ。

同僚の方たちは「どう考えても好きじゃーーーん!」と8年間思っていたらしい。結婚の知らせを聞いたときの、驚きと喜びがごちゃごちゃになった気持ちを忘れもしないとも仰っていた。

この事象に対する息子・沢井としての見解を述べさせていただくと、まず、シャイで誠実な親父らしいなと思った。正直、寸分の狂いもない解釈一致だ。家族を大事にすると決めた日から、一瞬もブレることがなかった親父のことだから、やりかねない。

それと同時に、「分かるゥー!」と思った。記憶のなかの親父と握手した。

ネジの外れた一途さみたいなものに、僕にも思い当たる節がある、ありすぎる。おいおい、それ親父譲りだったのかよ。笑えてたまらなかった。

そして、こうやって遺伝子が受け継がれていくんだなと妙な納得もした。


だからさー、あんまりおれに話しかけなかったのは、カッコつけてたんでしょ。辛いとか疲れたとか、ネガティブな気持ちを漏らさなかったのもそれ?

でも息子と話したいから、お小遣いを沢山渡してくれたね。勝手な解釈かもしれないけど、いまになって分かる気がするよ。おれたち、やっぱり似てるんじゃないかなあ。

ならさ、もっと話したかった!

場所はどこでもいい。ビールを二缶買って、親父の得意だったチャーハンか、おれの得意なチャーハンでもつまみながら、いままでの時間を埋めるような個人的な話をしようよ。

母のどんなところが好きだったの? どんな人間のことが嫌いで、いままででいちばん美味しかったご飯は何? 傷付いたこと、ムカついたこと、嬉しくてたまらなかったこと、おれにだけこっそり教えてくれないかなあ。おれの話も聞いてよ。話したいことがいっぱいあるんだ。

実家から帰る直前、仏壇の前に座って、そんなことを呟いた。

あなたの息子という人生を胸を張って生きられるように、気楽に頑張るから、まあ、みててよ。

線香の煙が消える頃、土砂降りだった雨が急に止んだ。僕の育った街は、青ともオレンジとも言えない曖昧な色彩を滲ませていた。こんな綺麗な夕方を、僕はみたことがなかった。

届いたのかな。こういう偶然を信じてみてもいいのかもしれない。その方が幾分も面白い。

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