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可能性の「か」の字(20200419)
午前7時50分過ぎ。
母に叩き起こされて目が覚めた。
「いますぐリビングに降りてきて」と指示を受ける。その只事ではない剣幕に驚き、目覚めの良し悪しなど関係なく反射的に飛び起き母に続いて、眼鏡もかけずに(なぜか照明のリモコンを持って)階段を降りた。
リビングのドアを開ける。父が椅子に座っていた。
「意識がないの。支えてて」
駆け寄ると、父は背もたれのない椅子で母に支えられながら座っている。
一緒に背中を支える。汗と熱を帯びて、身体が悲鳴を上げていることが伝わってくる。目の焦点は合っていない。
「パパ、聞こえる?」
母が何度も呼びかけても反応はない。時折生あくびが出るので息はしている。心臓も動いていることを確認した。生きて、いる。
「とりあえず横にしよう」
ふたりで父を持ち上げようと試みるが、ビクともしない。病院のような設備や経験があるわけではないので、どこにも力をいれていない成人男性を持ち上げるのはとても大変だ。失敗する確率の方が高いと踏み、断念した。
「とにかく病院に電話しよう」
そう決めたはいいものの、かかりつけの病院の先生に連絡をするのがいいのか、投薬を担当してくださっている病院の方がいいのか、母は思案する。「〇〇病院がいいと思う、出来るだけ早く知らせよう」と自分なりに精一杯伝えるが、ふたりともパニックに近いので考えが上手く纏まらない。
「ううう」
あたふたしている間に父から呻きのような声を発した。ふたりで父の背を摩る。
「パパ、聞こえる?」
今度は反応がある。父が右手で握っていた鉛筆を離し、左手で顔を掻いて、足も伸ばし始めた。
数分後、背を伸ばし周りを見渡せるようになった。
「ごめん、意識なかった?」
父が申し訳なさそうに苦笑いしながらふたりを見つめる。
どうやら貧血で意識を失っていたようだ。腫瘍が血管を圧迫していることは知っていたが、特に抗がん剤治療の2日後は1番体調が悪くて寝不足になっていたことに起因したのだろうと父は分析する。
前も同じようなことがあったから心配要らないと言われたが、そうもいかない。昨年の10月からこういうことが起こるかもしれないと頭では分かっていたのに、実際起こると大して何も出来ない事実はもっとどうしようもない。その無力感と何事もなかったように紅茶を飲む父への安心感が交互にやってくる。
人間の致死率は100%だ。
誰もがいついのちの瀬戸際に立ってもおかしくないという感覚を忘れてはいけない。
普段報道されているのはデータとしてのいのちだけど、僕たちが日々目にしているいのちは紛れもなく触れられる実体であって、データで簡単に割り切れるものでもない。
どうか麻痺せず、いのちと向き合って欲しい。
という友だちの話です。
ぜひ、あなたひとりで噛み締めてくださいね。