読書の記憶①
深夜にnote書く(打つ)のが定番になりつつある。今現在の考えや思いとうより、過去の自分と向き合うものを書いていることが多い。記憶のほとんどは美化されているが、今も美化しきれず、ん??、自分って何やってたの??、と時を経てもわからないことがある。
高校2年生、読書にものすごくはまっていた。村上龍、馳星周、赤川次郎、辻仁成、山田詠美・・・本屋で小説の後ろ表紙を見ながら、興味をもった物をひたすら買い、読み漁っていた。きっと、現実逃避をしたかったのかもしれない。小説の主人公は、野心があり、決して初めから人気があるわけではなく、もちろんリア充でない。まあ、全てが充実しているのであれば、主人公に抜擢されるはずがないのだけれど。
さて、読書の記憶の1つめとして、赤川次郎「回想列車」を挙げる。確か、短編集の中の一番最後にある話。サラリーマンが列車に乗る、駅で停車するたびに、これまでの人生に大きく影響を与えた人物たちが乗り込んできて、思い出を語り合い、最後にはそのサラリーマンは回送列車の中で亡くなっている、というような話だったような。。。あまりにも昔なのでうろ覚えだが、印象に残っている話だ。
よく、死ぬ間際、これまでの人生が走馬燈のように駆け巡るというのを聞くが、ああ、死ぬときって、実際はこんな風になるんかなぁと思った。だとすれば、自分の最期は誰と出会えるんだろう。と思うと、「死」を意識することができたし、同時に「どう生きたいか」も考えた気がする。
この話の最後、サラリーマンは、笑いながら亡くなっている。亡くなった原因などは不明だと思ったが、どう死ぬかというのはどう生きるかということを改めてイコールだと認識させられた話だった。
確か、「世にも奇妙な物語」で実写化されているはず。けっこうあったかい感じの作りだったけど、活字で読んだ自分は、もっと冷たいというか、切ないというか、すっきりしない終わり方だった気がするので、実写版とは、印象が結構違った。
今日は以上です。
はぁ、もう連休もあと一日か。。。