グッとラック!
あらゆる番組が今日で最終回を迎えたり、出演者の入れ替わりがあったり、大きな節目を迎えています。
その中の一つがTBS「グッとラック!」。
番組が終わるということは、視聴率やその他の指標的に苦戦を強いられたからということなのだとは思いますが、僕は、なんというか、この番組と波長が合う気がして、この時間帯の番組だと一番多く見ていた番組でした。
司会をされていた立川志らくさんにYahoo!拙連載でインタビューをした時も、自分で綴るのもナニな話ですが、会話がスイングしている気が強くしましたし、原稿もノッて書けましたし、結果、その記事はとてもたくさんの方々に読んでいただけました。
その志らくさんが司会をされていることもあるでしょうし、スタッフさんの感性ももちろんあるでしょうし、自分以外の人がどう感じているかは分かりませんが、少なくとも僕自身はしっくりする味。それが「グッとラック!」でした。
そして、今日は最終回の特別企画ということで、山田洋次監督と志らくさんの対談コーナーがありました。
そこで山田洋次さんがおっしゃっていたこと。
ひと言ひと言が、胸に突き刺さる。
否、突き刺さるのではない。
胸の細胞を壊すことなく、それでいて深くまで浸潤していく。
そんな感覚を感じっぱなしのコーナーでした。
中でも、僕が瞬時に「これが神髄」と思ったやり取りがありました。
共感を通り越して、共感が煮詰まり悔しさの後味にすらなる。
その部分の山田洋次さんの言葉。
時間にしたら、8秒でした。
「おおらかじゃないですね。今の時代って」
「重箱の隅をつつくように細かいことで大騒ぎする」
「本質が見失われていく」
僕が日々、あらゆる書き物で、そして、あらゆるラジオで、ニュースを入口にいろいろなお話をさせてもらう。
あらゆるレトリックを用いて、伝えようとする。
でも、ジュレを目の粗い網で掬うようなもので、なかなか掬い取れない。
そのもどかしさを感じていたことを、この上なくシンプルな言葉で、言葉数で、表してらっしゃる。
そのセンス。
そして、そこには、山田洋次という存在感が乗っかっていることも当然、間違いない。
簡素極まりない白菜の煮びたしでも、魯山人の器に盛られていると食するものが奥行きを感じる。
そして、魯山人の器と出会うくらいの白菜の煮びたしは、実際、それだけの奥行きを内包している蓋然性が極めて高い。
この二つの概念の融合。
「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」的世界観を用いるならば、老バーンとミストバーンが合体し、真・大魔王バーンが出現するケタ違いさ。
より分かりやすく説明するために用いるのが比喩のはずだが、そんなことは無視して、自分が綴りたいようなことを綴りにかかる高揚感を創出されるくらい、山田洋次さんの言葉には心を動かされました。
ここ最近の一例で言うと、渡辺直美さんが巻き込まれた東京五輪の開会式演出問題。
それが表出した際、僕はYahoo!オーサーコメントを書きましたが、その一部を以下に抜粋します。
いきなりの“巻き込まれ”でもあり、世の中のあらゆる考えや潮流が絡んだ話でもあり、そこに芸人としての立ち位置やイズムも関わってくる。
とても難しく、とても大きな命題を唐突に突き付けられたようなもので、困惑も大きいと聞きます。
容姿を笑いに繋げる。
これは笑いにおける“ベタ”でもあり、池乃めだかさんという名前を聞いた時に多くの人が顔を思い浮かべられる。
いかに笑いの根底、もしくは表層にそういうものがあり続けてきたかの証だとも思います。
ただ、そこには笑いという極めて繊細な“答え合わせ”のフィルターがかかってきました。
笑えるのか、笑えないのか。
今回、このようになっている時点で到底、笑える話ではないのでしょうが、必要以上に高く拳を振り上げることも、また笑えないと思ってしまいます。
「おおらかじゃない」「本質が見失われていく」
そのあたりの要素も400文字という制限の中に込めたつもりですが、自分で綴っておきながらナニですが「込められた」感があまりないのも事実でした。
ラジオでもあらゆる番組で繰り返してきました。
「水がきれいなことは悪いことではないのだろうが、水を澄ませることだけに躍起になることは正解なのか。そして、今、みんなが見ている部分の水の透明度が増したとしても、その分、どこかに泥が移動している。泥がなくならないとするならば、泥をどうとらえるか。もし躍起になるのであれば、そこの考え方の豊かさを伝播すること。ただ、これは、世界平和の実現くらい難しい。でも、やった方がいいということは、みんなが知っている。でも、難しい。でも、やった方がいい」
自分でしゃべっていても、まどろっこしくなっていることは分かっているが、なかなか伝えるのが難しい。
そこを山田洋次さんは8秒で、誰にでも分かる言葉でおっしゃった。
ここには、書き手、しゃべり手、ある意味の作り手としての僕が目指すべきものが凝縮されている気がしました。
もちろん、山田洋次さんに対して「自分が目指すべきもの」なんて表現を当てはめることが、その時点で不躾の極みなのかもしれません。
梅田にいて「とにかく淀屋橋の方を向かって歩いとくわ」というのではなく「シドニーの方に歩いとくわ」というくらい遠大なことですが、志は高く。そう思わせてくれた言葉でもありました。
そういう意味でも、やっぱり「グッとラック!」とは相性が良かったのかなと思います。
いつか、立川志らくさん、そして「グッとラック!」を作ってらっしゃったスタッフさんとお仕事ができる日がきたら、それはそれは痛快な時間になるのではとも夢想しました。
思念の話から入り、最後は商売っ気で締めくくる46歳。