ある帰省の話
年末、数年ぶりに祖父母の家に帰省した。
祖父母の家とは言っても、祖父は十年以上前に死去。祖母は老人ホーム暮らし。家に人が入るのは月に1.2回あるかないかである。
僕は小さい頃からこの家の匂いが好きである。築何十年かは知らないが、年季の入った木の家具や畳の香りに「帰ってきたなあ」と懐かしい気分にさせられる。小さいころはそれこそ、普段自宅では見ない床の間や仏壇の飾り物を眺めたり、父や祖父母の若いころの写真をあさってみたり、この古い家の面白さを存分に楽しんでいたものだ。
しかしどうも今回はホコリがひどい。家に着いてからくしゃみと鼻水が止まらない。月に1回か2回父親や叔母が掃除に来ているらしいが、それでもそこそこ広い家である。行き届かせるのは至難の業だ。
ハウスダストに苦しみながら家族で掃除をする。ふと祖母が引っ越してから明らかに物が減っていることに気づいた。物が溢れて雑然としていた服置き場や父の部屋だった場所はちゃんと整理されて、でもホコリをたくさん被っていた。主を失った家財達が寂しそうに整然としている。
この家も大分変わったな。そう思った。しばらく来ないうちに祖母の身には色々なことがあった。病気して、入院して、だんだんボケも来て、介護が必要になり、施設に入った。家にある家財やがらくた類は、しばらく使われないうちにどれも錆やホコリにやられかけていた。住む人が弱ると家財も一緒に弱っていく感じがする。住む人がいなくなれば更に拍車がかかる。昔はそんな事思わなかったのに、今は家財の一つ一つがただ寂しそうだ。家財と住人は繋がっているのかもしれない。
掃除をしながら、時代や人の変化というか劣化というか、枯れていくものに対する寂寥感が胸を浸した。祖母は今老人ホームでどんな心持で生きているのだろうか。
掃除を一通り終えて、墓掃除に行くことになった。外に出たら、小雨ともみぞれともつかぬような雨が降っていた。空が明るいからてっきり晴れているものとばかり思っていた。
墓参りは小さい頃から散歩代わりによく連れてってもらった。広い畑の脇の道をしばらく歩き、近くの山を軽く登って、竹と木が入り混じる森に入ってしばらく進むと、少し開けた場所に出る。そこが墓だ。なぜかはわからないが、僕はその墓参りが毎回とても楽しみだったのを覚えている。
何年振りかの墓参り。小さいころのワクワク感がよみがえる、というほどのことはなかった。墓までの道のりが大きく変わっていた。周りを見やるとちらほら新しいマンションが目に入るようになり、坂の上にはやたら綺麗な新築があちらこちらに並んでいた。
変わったのは祖母の家だけではない。町の様相もだいぶ変わったのだ。
広い田畑こそ昔と変わらない風通しのよさがあったが、父の話によると来年にはその土地にもう一棟マンションが建つそうだ。毎年ゴールデンウイークに帰った時には何本も鯉のぼりが昇っていたのに。西に傾く日に照らされた大地が寂し気に笑っていた。
竹林に入り、墓に到着した。周りは完全に背の高い竹や木々たちに囲まれて、さっきまでの街や家々は全く見えない。ここにあるのは空と林と墓だけである。この場所だけは小さいころと変わらない。僕たちが普段生きている世界が全く見えなくなる。世界がここだけみたいに錯覚してしまう、不思議な場所である。小さいころのワクワク感はこれゆえなのかもしれない。
墓周りの草むしりをし、墓石に水をかける。先祖に会いに来た、という感覚はあまりないが、もしこの場所が生と死の境界にあるとしたら、そうなんじゃないかという気もする。ろうそくに火をつけ、線香を立てる。この世の中は悲しいほどに変わっていくものばかりだ。人も技術も何もかも、成長して廃れていく。でもこの場所の線香の香りは変わっていなかった。合掌しながらほんの少しだけ、一生が早く終わったらいいなと思った。そして、墓場を後にした。
小雨ともみぞれともつかない雨は止んでいた。元来た道をたどり田畑の脇の道をすすむ。特急列車が西日に照らされながら、向こうの盛土の上を走っていった。その時ふと気づいた。その西日に照らされて、虹が出来ていたのだ。街も山肌もオレンジ色に染められている中、虹がただそこで映えていた。しばらく見とれていた。
変わっていくものだらけの中で、虹がそこにあった。でも少しずつ消えていってるのが分かった。帰路の歩みを進めながらもう一度振り返ると、また更に消えかけていた。家に戻った時には全く見えなくなっていた。家の戸に手をかけながら僕は、まだまだ生きていたいなと思った。
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