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#40 震災の記憶を風化させない!

1.東日本大震災から11年

(1)2011年3月:震災当日

2011年3月11日(金)午後2時46分。東日本大震災から、今日で丁度11年が経ちました。各地で追悼式が開かれていますが、今日は当時のことを振り返ってみようと思います。

この日は、オフィス(神田)から西東京市の自宅まで、距離にして約30Kmを、歩いて帰りました。とても寒い日でした。
神田から新宿まで帰宅者の長蛇の列が続き、なかなか前に進まない・・・。
職場の同僚5人で何とか新宿までたどり着いて、少し腹ごしらえしようと
した所、食堂は全てクローズ、コンビニには食べるものが何もない・・・。
ーそれでも、開いていた喫茶エクセシオールの”パニーニ”で少しだけ空腹を満たし、コンビニでホッカイロを買って防寒対策とし、仲間5人で励まし合いながら歩き続けました。
オフィスを出たのが午後5時、家に着いたのは夜の12時を回っていました。”作戦”も”戦略”もなく、非常時の対応としては無謀だったと思います。

(2)2012年5月:三春滝桜

当時、私は人材エージェントのキャリアコンサルタントとして仕事をしていました。被災地での人材難が報じられる中、被災地の求人・採用を支援して行きたいと考え、震災後、活動のターゲットを変えました。
以来、私が関わった採用(転職)支援の最多は、福島に関係する企業(福島工場/福島本社)です。

震災の翌年5月に、私が担当するF社の工場見学の為、三春(福島県田村郡三春町)を訪れました。JR三春駅を降りてすぐのコミュニティセンターで、お茶をふるまっていただき、地元の方のお話を伺いました。
ー仮設住宅住まいで厳しい生活が続いていること、風評被害、東京に福島ナンバーで駐車していたら心無い落書きをされたことなど・・・・。

工場見学を終え、三春駅に戻る途中で、三春滝桜のことを知りました。桜はもう散っていましたが、「三春滝桜は地元の誇り、大きな楽しみである」と、最後に立ち寄ったコミュティーセンターの方から伺い、福島を後にしました。

震災から何年か経って、都立小金井公園に三春の滝桜(エドヒガン)が植えられました。今年は、昨年よりも春一番も一か月遅れで、まだつぼみにもなっていませんが、毎年、この前を通っては、三春を訪れた日のことを思い出します。

三春の滝桜(小金井公園:2022年3月11日撮影)

2.日野原重明先生の言葉

2011年9月21日(水)、新宿の紀伊国屋書店で行われた日野原重明先生の「いのちを育む」出版記念サイン会で、日野原先生と直接言葉を交わし、いただいたサインは、今でも私の宝物です。
東日本大震災は大変つらい出来事ですが、この災難によって、今日本全体が一つになろうとしています。”
困難に共に耐えることで培われる感性、そしてその困難を乗り越えた時の感動が、きっと、私たちの力となります。”(日野原重明「いのちを育む」)

「いのちを育む」日野原先生直筆サイン

天には大きな円を描き、その弧の一部となる
英国の宗教詩人ロバート・ブラウニングの詩から、ということで、日野原先生は、この言葉を好んで使われました。

五木寛之さんが、「学校の英語の授業で教わったロバート・ブラウニングの詩の一節も、いまだにふっと口をついて出て来たりする。」(「背進の思想」)と書かれているのを読み、ロバート・ブラウニングの詩を調べてみました。
日野原先生の言葉の原典は、ロバート・ブラウニングの詩のこの一節だと思われます。
天には大きな円を描き、その弧の一部となる
On the earth the broken arcs; in the heaven, a perfect round.”

嬉しくなって、ブログに書き留めました。

「使命」は、命を使うと書きます。
「命とは自分が持っている時間のこと」
「使命」とは、自分が持っている時間をどう使うかということ、日野原先生は身をもって教えて下さいました。

3.歴史を伝えていくことの大切さ

昨年は震災10年、大きな節目と言われました。大台が変わり、11、12・・・と年を重ねるごとに記憶は風化して行きます。これからは、震災を知っている人が減り、震災を知らない人が増えて行きます。

”太平洋戦争”ー2022年は戦後77年です。「戦後75年(=三四半世紀)」として多くの特集が組まれた2020年に比べ、2021年(戦後76年)は、その注目度も下がりました。これが、77、78・・・と年を重ねて行く時、記憶の風化が、懸念されます。
自分が直接経験していないこの戦争のことも、語り伝えていくことの大切さ、歴史の伝承の大切さを思います。

「あの時の自分との約束を果たせているか?」
震災から11年、記憶を風化させていないか、自分に問うた一日でした。




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