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#59 次の世代にバトンをつなぐ

1.今日(8月19日)は「俳句の日」

今日(8月19日)は「俳句の日」だそうです。ウィキペディアによれば、1992年に記念日として制定され、丁度今年で30年。
私には俳句の嗜みはありありませんが、昨年期せずして「八月や六日九日十五日」を詠んだことで、私も同句の「詠み人多数」の一人になりました。

昨年、この句の存在を知ったことから、俳句探偵、小林良作さんとも、つながり、同句にまつわる様々なエピソードを知り、詠み手の思いに共感しました。

この句を「詠み人知らず」から「詠み人多数」の句であるとして、一人一人の詠み手に光を当てた、小林良作さんの尽力に感謝したいと思います。

1-1「つくつくぼうし」は何と啼く?

「立秋」から10日以上が経ち、猛暑が続く中でも、朝方の空気には、秋の気配を感じるようになりました。7月中旬からにぎやかだった様々な種類の蝉の合唱も、最近では、「つくつくぼうし」の鳴き声が目立つようになりました。

小林一茶や夏目漱石も、つくつくぼうしを題材に句を詠んでいます。
    今尽きる秋をつくづくほふしかな    一茶
    鳴き立ててつくつくほうし死ぬる日ぞ  漱石

”「夏が終わるのがつくづく惜しい」と鳴く”とばかり覚えて、特に意識していなかったのですが、梅崎春生(小説家:1915-1965)によると、つくつくぼうしの鳴き方は、3段階あるとのこと。(下記「法師蝉に学ぶ」ご参照)

生まれて初めて、つくつくぼうしの鳴き声(3段階)を意識して聴いてみました。なるほど、確かにそうでした。
梅崎は、エッセイ「法師蝉に学ぶ」の中で、最後の「ジー」という啼きおさめに最高の評価を与え「その自然さを、学ぶべきである」と結んでいます。

私はつくつく法師という蝉が好きだ。あの啼声(なきごえ)には、格別の趣きがある。 ツクツクホーシ、ツクツクホーシと、十声ばかり啼き、そこでちょっと調子を変えて、ツクツクウイー、ウイオース、ウイオース、と三四度啼き、最後に、ジー、と啼きおさめる。あのジーというきりは、自然にして、かつ千鈞(せんきん)の重みがある。油蟬や蜩(ひぐらし)の啼声とは、比較にならない。 ツクツクホーシと啼き始める前にも、ジーといったような、一種の前奏がつく。その前奏と、きりのジーとが相呼応して、すばらしい効果を上げるのである。起承転結、間然するところがない。小説の書き出しやきりについても、こうありたいものだ。つくつくほうしなんかと、莫迦にせずに、心を虚しくして、その自然さを学ぶべきである。

梅崎春生法師蝉に学ぶ」(昭和33年「群像」に発表)

2.中学生までに読んでおきたい「哲学」(あすなろ書房)

「法師蝉に学ぶ」は、”中学生までに読んでおきたい「哲学」(あすなろ書房)”の「⑤自然のちから」所収です。
7月の終わりに日経新聞の広告欄で見つけ、「中学生までに読んでおきたい・・・」のタイトルに惹かれ、読んでみようと思いたちました。

私が中学時代には、目にしたことも、読んだこともない著者ばかりであり、どんな作品が選ばれているのか、関心もありました。本は買って読むことを基本にしていますが、今回は図書館の恩恵に預かっています。

「哲学」は、哲学書や哲学講義のなかにだけあるものではありません。
私たちの日常の暮らしのなかにも、また、気楽に読んでいる文章の中にも、考えるためのヒントはちりばめられています。

編者 松田哲夫

各巻、20名前後の著者による10頁程度の文章(エッセイ)で構成されています。編成の妙もあり、”昭和-平成の作品を、時代を超えて『今』味わうこと”の意味を、改めて感じます。

難解な文章はなく、どの文章にも、小さな気づきやヒントがあります。
これを中学生の時に読んでいれば、その後の生き方が変わったかもしれない、と考えたりもしました。
角田光代さんが、コメントしています。:「そうか、哲学って、小難しい理論じゃなくて、私たちの生活のすぐ隣にある何かだったんだ。考えるって、こういうことだったんだ」

恐らく、同じことを考えている人がいるのだと思いますが、複数の予約者があるようです。現在4巻を読了、あとの4巻は入荷待ち、です。

中学生でも読める内容です。”昭和の先達の作品を、時代を超えて、令和の若者が読むこと”に意味があると思います。「編者」の力がなければ、出会わなかった作者・作品もあり、大人にもお薦めです。

3.次の世代にバトンをつなぐ:キーワードは「ジェネラティビティ」

エリック・H・エリクソンの「心理社会的発達理論」では、人間の発達段階を8つに分け、第7段階の「壮年期」においては、ジェネラティビティ(世代性、世代を超える、次世代育成力)が、「停滞」を打ち破る鍵になる、とされています。

筆者作成(年齢区分は諸説/個人差あり)

ジェネラティビティ」は、”ミドル・シニアが輝くためのキーワード”と考えています。決して上から目線で、先輩としての経験を伝えるのではなく、「世代を超えた双方向のつながり」にこそ、意味があると思います。私が、「ジェネラティビティの力」を感じた、3つのことについて、書き記しておきます。

3-1 「66歳の同級生」の時代遅れのRock’n Roll Band(2022年6月)

「若者は宝物」ー「僕らの世代というか、同級生は、やっぱり自分たちだけの世代というよりも、次の子供たち、その子供たちっていうことも含めて意識していると思いますね。」(「クローズアップ現代」桑田佳祐)

3-2 岸見一郎氏の京都洛南高校での課外授業(2018年11月-12月)

岸見一郎氏の1時間の講演「自立について」の後、生徒からの真摯な質問と双方向の白熱した応答(1時間超)が、「哲学人生問答」(講談社文庫:2022年4月刊)にまとめられています。

3-3 若松英輔氏の豊島岡女子学園中学校での特別授業(2018年)

茨木のり子の詩集「自分の感受性くらい」を教材に、2018年に豊島岡女子学園中学校で、若松英輔氏が特別授業を行っています。
巻末に、授業を受けた生徒(16名)のメッセージが掲載されていますが、若松氏の語り・伝える力は勿論ですが、それに応える、生徒たちのメッセージに、その理解の深さに驚きました。
若松氏は、生徒一人一人に相応しいテーマでメッセージを送り返す形で、授業を終えています。双方向の応答は素晴らしいコラボだと思いました。

4.「ジェネラティビティ」:ミドルシニアの生き方のキーワード

「66歳の同級生」「岸見一郎氏」「若松英輔氏」の取組:次世代へのメッセージ発信は、何れも、壮年期(ミドル・シニア)のジェネラティビティの実践だと思います。

世代を超えた、双方向のコミュニケーションであり、「次の世代にバトンをつなぐこと」、つながったバトンを通じた相互作用があります。

若者世代からミドル・シニア世代が、「ジェネラティビティ」を通じて、新たな気づきを得る:今後のミドルシニアの生き方のキーワードとして、「ジェネラティビティ」のあり方や可能性について考えて行きたいと思います。


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